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【武田塾 豊中校】第一次世界大戦後のヨーロッパ国々 世界史

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今回は第一次世界大戦後のヨーロッパの国々の歴史について解説していきます。

 

国際連盟の形成

各国の状況を見る前に、国際連盟の形成について説明しておきます。

国際連盟は第二次世界大戦まで存続し、各国に影響を与えたので、先に触れておきます。

第一次世界大戦終了後、戦後処理のためにパリ講和会議が開かれました。

この講和会議の基本原則が、アメリカ大統領ウィルソンが唱えた十四か条の平和原則です。

軍備縮小や国際平和機構の設立、その民族が望む限りにおいて、その民族の国家を建てるべきだという民族自決の原則などが打ち出されました。

この会議では敗戦国との条約が結ばれると同時に、十四か条の平和原則に基づいて国際連盟が設立されます。

しかし、国際連盟は多くの問題を抱えていました。

まず、国際連盟は総会による全会一致を原則としていました

全員が納得できる決定をしようという趣旨は理解できますが、40以上の国が全会一致することは到底不可能です。

次に、国際連盟は武力制裁ができませんでした

制裁は経済制裁に限られていて武力を持った国を止めることはできませんでした

さらに、アメリカ国内の議会の反対により、提唱者であるアメリカが国際連盟に加盟することができませんでした。

それに加えて、ロシアも国際連盟に加盟しなかったため、2つの大国が加盟しませんでした

これらのことから、国際連盟はあまり機能せず、第二次世界大戦の発生を止めることができませんでした。

 

ドイツの歴史

ドイツは第一次世界大戦に同盟国側で参戦しましたが、敗北しました。

この会議でドイツは講和条約であるヴェルサイユ条約を結びました。

この条約によってドイツは全ての植民地を失い、軍備に制限が加えられた上、賠償不可能なほど多額の賠償金を課されました。

結局この賠償金の支払いは2010年までかかったそうです。

パリ講和会議によってヴェルサイユ体制という新しい世界秩序が生まれ、民族自決の原則によってドイツやロシアなどに支配されていた民族が次々と独立を果たしました。

ただ、民族自決の原則が適用されたのはヨーロッパだけで、アジアやアフリカの植民地では依然として大国による支配が続いていました。

フランスの歴史

フランスは戦勝国になったものの、戦時中アメリカにたくさんの借金をしました。

そのためドイツに大量の賠償金を請求しましたが、ドイツは敗戦国であるので当然そんなお金はなく、フランスはお金がないままでした。

そこで、フランスはドイツ工業の中心であったルール工業地域に侵攻し、賠償金の催促を行いました。(ルール占領

この占領によってフランスとドイツの関係は悪化しましたが、アメリカの介入によって賠償金の問題は解決し、ドイツとフランスの関係性も良くなりました。

世界恐慌

このように戦後処理が順調に進んでいるさなか、1929年に世界恐慌が発生します。

アメリカの株価暴落をきっかけに、アメリカの支援によって復興が進んでいたドイツ、フランス、イギリスが相次いで不況に陥ったのです。大国が不況になると友好関係のある国も不況になり、結果として世界全体の恐慌となりました。

この世界恐慌をきっかけに、世界の分断が広がります。

そもそも、世界恐慌はモノの作りすぎによって発生したので、社会主義国であるソ連は世界恐慌の影響は受けませんでした。

また、イギリスやフランスは世界恐慌の影響は受けましたが、植民地をたくさん持っていたため、植民地と本国でブロック経済圏を作り、自給自足体制に切り替えました。

イギリスはポンドブロック、フランスはフランブロックという経済圏を作り、それ以外の国々との貿易に高い関税をかけることでブロック外との貿易を制限し、他国の経済的影響が自国のブロックに及ばないようにしました。

それに対して、植民地を持たず、経済基盤の弱いドイツやイタリアは、自給自足ができないので、ファシズムに走ります。

ファシズムとは第一次大戦後、イタリアからヨーロッパ各国に広まった新しいタイプの政治運動・体制。

「結束=全体主義」を掲げ、極端で暴力的な独裁の体制で国民を抑え、対外侵略を強行する政治・体制。

 

イタリアの歴史(ファシズムの台頭)

ファシズムが最初に発生したのはイタリアです。

イタリアは実は世界恐慌の前からファシズムが始まっていました。

第一次世界大戦中にイタリアは同盟国側から協商国側に寝返って一応勝利したものの、期待していたような成果が得られず、国民の不満が高まっていました。

それを利用したのがファシスト党のムッソリーニです。

ムッソリーニはファシスト党一党独裁体制を築くと、アドリア海の港湾都市フィウメを占領し、アルバニアを保護国化しました。

さらに世界恐慌後にはエチオピアを併合し、国内の支持を固めていきました。

ちなみにファシズムの語源はファシストイズム(=ファシスト党の考え)です。

 

ドイツの歴史(ドイツ=ファシズムの台頭)

 

次にファシズムが発生したのがドイツです。

世界恐慌が発生した後、最も世界恐慌の影響を受けたのがドイツでした。

アメリカからの融資が滞り経済が崩壊してしまったのです。

そこで現れたのがヒトラー率いるナチ党です。

ヒトラーはヴェルサイユ条約の賠償金を破棄し、再軍備をすることでドイツは復興できると宣言し、敗戦によって沈んだ国民の気持ちを鼓舞します。

さらにヒトラーはフォルクスワーゲンで知られる自動車産業の育成やアウトバーンという高速道路の建設によって失業者にも仕事を与えます。

ドイツ国民はヒトラーに熱狂し、選挙の度にナチ党は議席を増やしていき、ほぼ100%の議席数を獲得するに至りました。

この圧倒的な国民の支持を背景に、ドイツは国際連盟を脱退し、さらに全権委任法を成立させました

これは立法行政司法の三権を全てナチ党に集めて独裁を強化する法律でした。ここからドイツは再軍備を宣言するなど徐々に過激になっていきます。

このムッソリーニとヒトラーが手を組むことになったのがスペイン内戦です。スペインでは王家が倒れたことをきっかけに、社会主義寄りの人民戦線内閣と資本家たちが支援するフランコ将軍が対立します。そのフランコ将軍の支援をしたのがムッソリーニとヒトラーでした。イタリアとドイツは共にソ連を敵国だとしていて、社会主義ではない方を支援したのです。

結果的にフランコ将軍の反乱は成功し、ムッソリーニとヒトラーが接近しました。さらに国際連盟を脱退した日本も加わって、日独伊三国同盟が形成されました。

ここからこの三国が軍事侵攻を繰り返し、第二次世界大戦が勃発します。

おわりに

いかがだったでしょうか。

世界大戦については知っていてもそこに至るまでの経緯は知らない人が多いのではないでしょうか。

世界大戦について知ることは大事ですが、そこに至るまでの経緯を知っておくこともとても大事です。今日のブログを参考にして頑張ってください。

 

 

 

 

 

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