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【武田塾|豊中校】第一次世界大戦前後の世界情勢 流れ

豊中市で塾をお探しの皆さんこんにちは、武田塾豊中校です。

武田塾豊中校は、阪急豊中駅から徒歩5分。

趣きのあるビルの3階に構えている塾です!

武田塾豊中校は近隣の高校からの生徒さまが一番多く、豊中高校、池田高校、刀根山高校、履正社高校、桜塚高校、梅花高校、千里青雲高校、金蘭千里高校、雲雀丘学園高校、箕面高校、箕面自由学園高校、清風高校などから来てくれています。

また、地域でも様々で豊中市以外の地域からも、大阪市、池田市、吹田市などからも通塾いただいております。

今回は第一次世界大戦ごろの世界情勢について解説していきます。

ここは世界史探究だけでなく歴史総合の範囲でもあります。そのため、世界史の勉強が出来ていないであろう共通テストで日本史探究を選択する人に読んでいただきたいです。

最初は世界史の全体像を掴んでいただきたいのでストーリーにしてみました。最初は細かい用語を気にせずに流れを理解した上で、後から細かい用語をおぼえていってください。

また、国がどこにあるかわからないと理解しにくいところがあるので、イギリスやフランスといった主要国の場所は覚えておいてください。

心配な人は地図を見ながら読んでいただくと理解が深まります。

第一次世界大戦は多くの国が関わって発生しました。

そこで、まず主要国の状況を国ごとに説明した上で、各国の関係を説明します。

各国の歴史

イギリスの歴史

当時のイギリスは貿易拠点を増やして利益を上げようとしていたため、アフリカを支配しようと考えました。

アフリカは当時暗黒大陸と呼ばれ、未知の大陸でした。そこで、リヴィングストンスタンリーが探検を行い、アフリカについて分かるようになってきました。なので、ベルリン会議を開き、アフリカは早い者勝ちでその国の領土にしていいと決定しました。

そこで、まずイギリスはアジアに移動する時間を短縮するためにスエズ運河を買収し、更に、エジプト、スーダン、南アフリカを侵略し、アフリカを縦に支配する縦断政策を行いました

エジプトではウラービー革命、スーダンではマフディーの反乱という反対運動が発生しましたが、いずれもイギリスが鎮圧しました。

南アフリカはケープ植民地いう名前植民地になっていて、セシルローズが支配していました。セシルローズは領土拡大を目指したが失敗したため、イギリスの大臣だったジョセフ・チェンバレンが大軍を率いて南アフリカ戦争に勝利し、領土を拡大して南アフリカ連邦としました。

イギリスはエジプトのカイロ、南アフリカのケープ、インドのカルカッタを拠点とし、この3地点を結んだ場所を支配するという3C政策を行いました。

フランスの歴史

フランスはイギリスに対抗してアフリカを横に支配していく横断政策を行いました。しかし、縦断政策を行っていたイギリスとスーダンのファショダで衝突し、イギリスに敗北しました。

ドイツの歴史

ドイツは19世紀のなかばにビスマルクによって統一され、ビスマルクが首相となりました。ドイツにはヴィルヘルム1世という皇帝がいて、この人が最も権力があるのですが、高齢だったためビスマルクに国家運営を任せていて、実質的にはビスマルクが権力を握っていました。

当時、隣国であるフランスがドイツの領土を奪おうとしていたため、ドイツはフランスを孤立させるためにオーストリア、イタリアと共に三国同盟を結び、更にロシア再保障条約を結びました。

しかし、ヴィルヘルム1世の後を継いだヴィルヘルム2世は全ての政策を自分で決定し、ビスマルクを辞めさせました。

ヴィルヘルム2世はイギリスに対抗し、ドイツのベルリンオスマン帝国のイスタンブール、イラクのバグダッドを拠点とする3B政策を行いました。更に、軍事力を増強すれば条約は不要だとして再保障条約の更新を拒否しました。

ロシアの歴史

ロシアはドイツとの条約がなくなったため、ドイツと対立していたフランスと露仏同盟を結び、フランス資本を使ってシベリア鉄道を完成させました。

これによって東側への移動が容易になったため、ロシアは東側に領土を拡大しようと考えました。当時中国大陸には清という国があり、清は日本と日清戦争を行い、敗北して領土の一部を日本に奪われていました。

日本が勢力を拡大するのを恐れたロシアは、フランス、ドイツと共に三国干渉を行い、日本が奪った領土の一部を清に返還させました。

当時中国貿易をほぼ独占していたイギリスはロシアの行動に危機感を感じ、日本と日英同盟を結びました。その後日露戦争でロシアは敗北し、ポーツマス条約が結ばれロシアは領土の一部を日本に奪われました。

バルカン半島の歴史

ここで、オスマン帝国の話をしておきましょう。オスマン帝国はトルコとバルカン半島を支配していました。バルカン半島は、イギリスやフランスにとってはインド貿易のルートであり、ロシアにとっては地中海への出口であったため、オスマン帝国を支配しようとして度々戦争が起きていました。

1877年に発生したロシアトルコ戦争の講和条約であるベルリン条約でロシアは南下するルートを塞がれたため、一度ロシアはバルカン半島進出を諦めましたが、既に述べたようにロシアは日露戦争に敗北して東側の進出ができなくなったため、再びバルカン半島への進出を目指し始めまし

第一次世界大戦の勃発

ここからは一つの国に絞らず各国の関係を見ながら説明していきます。

バルカン半島を支配しているオスマン帝国では、日露戦争で日本がロシアに勝利した姿を見て青年トルコ革命が発生しました

ロシアはブルガリア独立を支援して、セルビアはブルガリア、モンテネグロ、ギリシャとバルカン同盟を結成し、オスマン帝国に攻め込みました。(第一次バルカン戦争

オスマン帝国が敗北したため、オスマン帝国から奪った領土の分割をめぐってブルガリアとセルビア、ギリシャが争い、(第二次バルカン戦争)ブルガリアは敗北しました。これによってオスマン帝国とブルガリアが同盟国側に付きました。

オーストリアはボスニアヘルツェゴビナを併合し、セルビアを弾圧したためセルビアと対立していきました。

イギリスは同盟国に対抗するためにフランス、ロシアとそれぞれ英仏協商英露協商を結びました。そして、これと露仏同盟を合わせてイギリス、フランス、ロシアの三国協商を結びました。

1914年、セルビア人の青年がオーストリア人皇太子夫妻を暗殺し、(サラエボ事件)これを機にオーストリアはセルビアと開戦し、同盟国はオーストリアの味方、協商国はセルビアの味方として参戦し、第一次世界大戦が勃発しました。

第一次世界大戦の進行と終結

ドイツはまずロシアにタンネンベルクの戦いで勝利しました。しかし、フランスにはマルヌの戦いで敗北しました。

そこから第一次世界大戦はなかなか決着がつかず、飛行機、戦車、毒ガスなどの新兵器がたくさん登場し、総力戦となりました。

また、協商国側には日本やアメリカが参戦し、ロンドン秘密条約によってイタリアも協商国側に寝返ったため、同盟国側は徐々に劣勢になっていきました。

そして、1918年、ドイツ軍の水兵が攻撃を拒否し、アメリカ軍に攻め込まれたため、ヴィルヘルム2世はオランダに亡命し、第二次世界大戦は終結しました。

この時、ロシアではロシア革命が起きていたため、ロシアはドイツとブレストリトフスク条約を結び、終戦の前に戦線を離脱していました。

終戦後、ヴェルサイユ宮殿でヴェルサイユ条約が結ばれ、ドイツは領土を奪われて、大量の賠償金が課されました。同盟国側の他の国も、それぞれ条約を結びました。

終わりに

いかがだったでしょうか。

たくさんの国が出てきてこんがらがってしまった人が多いと思います。

そんなときはまず一つの国だけに集中して覚えてから各国の関係を見ていけばいいでしょう。

大変だと思いますが、頑張ってください。

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ドミノ
 
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