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【武田塾 豊中校】フランス革命①~勃発から立憲君主政へ~

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今回はフランス革命について、革命前~立憲君主政の成立までの流れを解説していきたいと思います!

歴史上においてにおいて重要な転換点とされるフランス革命ですが、覚えることも多く流れも複雑なので、苦戦している方も多いのではないでしょうか!

細かい部分まで解説していくので、勉強の参考にしてみてください♪

それでは早速行きましょう!

フランス革命以前のフランス

18世紀のフランスは、「旧体制(アンシャン=レジーム)」とよばれる、国王を頂点とし、国王が絶対的権力を持つ社会構造の時代でした。

※アンシャン(Ancien)=古い レジーム(régime)=体制

当時、人々は3つの階級【第一身分(聖職者)、第二身分(貴族)、第三身分(農民・市民)】に分かれていました。

このうち、第一身分と第二身分は特権階級であり、当時のフランス人口の約2%ほどであり、残りの98%は第三身分の人々です。

第一身分と第二身分の人々がなぜ特権的身分であったのかというと、彼らは封建的特権を持っていたからです。

封建的特権とは、以下の3つの特権を指します。

免税特権

通常、国民は王家に税を納めますが、特権階級の人々はそれらが免除されていました。

領主裁判権

中世から続く封建制度において、領主が領民に対して持っていた権利で、領主が自らの荘園内での問題における善悪や可否を判定していました。

徴税権

貴族や聖職者といった領主が農民(農奴)に対して税を課すことが出来た権利のことを指します。税には土地代や十分の一税などがありました。

つまり、第三身分である農民は王権と領主の両方に税を払わなければならず、この二重の税が農民たちの生活をひっ迫させていました。

特権を持っていた第一身分と第二身分に対して、第三身分の農民や市民は、人口の約98%を占めていたにもかかわらず、政治に参加する権利を有していませんでした

このような旧制度における状況に加え、啓蒙思想が普及したこともフランス革命勃発の一因となったと考えられています。

フランス革命の勃発(第一段階)

ルイ14世以来、度重なる対外戦争や宮廷の贅沢などによって、国家の財政はますます困窮していました。

この財政難から脱するため、財務長官テュルゴーは財政改革を試みますが貴族の反対にあい失脚してしまいます。

財務長官ネッケルによって特権身分への課税が提案されると、特権身分たちは猛反対し、三部会の開催を求めました。

*三部会とは、14世紀に始まったフランスの身分制議会(聖職者、貴族、第三身分の3部構成)で、重要な決定事項や新しく税を徴収する際に召集がかけられていました。しかし、その後議会内での内部対立などで開催が実現しなくなり、1614年の招集を最後に開催されませんでした。

彼らの要求を受け、174年ぶりに、1789年5月、ヴェルサイユ宮殿にて三部会が召集されました。第一身分が約290名、第二身分が約285名、第三身分の議員が約580名集められました。

ここで問題のカギとなっていたのは議決方法でした。

従来の議決方法はそれぞれの身分の部会が各1票をもつ身分別の議決方法でした。

しかし、第三身分は特権階級への課税に賛成ですが、なんとしても自分たちへの課税は避けたい特権階級は当然反対です。つまり、この方法では2票(第一・第二身分)対 1票(第三身分)で必ず否決になってしましいます。

そこで提案されたのが個人別での議決でした。

この議決方法を採用すると、身分に関係なく1人1票となり、約575票(特権階級)対 約580票(第三身分)となり、第三身分が若干優勢で課税案が可決されることになります。

このような議決問題が起こった結果、第三身分は三部会から分離し、ヴェルサイユ宮殿内の球戯場に集まって球戯場(テニスコート)の誓い1789年6月20日を立てました。

ここに国民議会が成立し、彼らは憲法が制定されるまで解散しないことを誓いました。

この動きに危機を感じた国王は武力により議会を弾圧しようとしましたが、パリの民衆はこれに対抗するための武器を求めて、7月14日、バスティーユ牢獄を襲撃しました。暴動は全国に波及し、領主の館も襲撃されるようになりました。

8月4日、国民議会は封建的特権の廃止を決議します。

免税権・領主裁判権・農奴制は無償で廃止されましたが、封建地代は有償で廃止されることになりました。

さらに、8月26日、フランス人権宣言が採択されました。これは、自由主義者であるラ=ファイエットによって起草され、自由や平等、抵抗権や言論の自由、財産所有権など市民の持つ人権などを規定しました。

人権宣言の条文は教科書や資料集に掲載されていることが多いので、ぜひチェックしてみてください!

10月5日、パリの物価高騰や食料不足を背景にヴェルサイユ行進が起こりました。パリの女性たちがパンを求めてヴェルサイユ宮殿に押しかけたのです。

国王と議会はパリのテュイルリー宮殿に移されます。

その後も国民議会は教会財産の国有化、紙幣の発行、ギルドの廃止など、多くの改革を行いました。

このように革新的改革を行い市民の指示を得ていた国民議会に対して、宮廷側は革命を妨害しようと国民議会の穏健派議員であったミラボーと内密にやり取りし、議会の情報を得ていました。

しかし、1791年4月にミラボーが急死したことで、国王一家は国外へ逃亡しようと試みますが、ヴァレンヌで正体がばれてしまい、失敗に終わってしまいます(ヴァレンヌ逃亡事件)。この出来事によって、市民の国王への不信感は強まる一方でした。

この事件を受けて、王妃マリー・アントワネットの兄である、オーストリア皇帝レオポルト2世は9月、プロイセンとともに、ブルボン家への支援と必要な場合は武力を行使することも宣言しました(ピルニッツ宣言)。

立憲君主政への移行

諸外国も関わるようになった中で、1791年9月、1791年憲法が採択されました。

この憲法では制限選挙(25歳以上、間接選挙)や立法議会のみの一院制議会を特色とする立憲君主政を基本原理としていました。

念願であった憲法が制定されたことにより、役目を終えた国民議会は解散し、この憲法をもって立法議会が成立(1791年10月)しました。

ここから革命の第二段階に突入することになります。

おわりに

今回は革命以前のフランスの切迫した状況から、革命の第一段階までについて解説しました。

フランス革命は覚えることも多く、展開が早くややこしいので、資料集を使って図式や当時の状況を描いた絵などを見ながら学んでいきましょう!

第二段階からは次のブログで詳しく見ていきたいと思います!

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