征夷大将軍の歴史と特徴とは?
こんにちは!
武田塾高槻校です!
今回は少しマニアックな話になってしまいますが、
日本史選択の皆さん、征夷大将軍という言葉をご存じでしょうか?
征夷大将軍=坂上田村麻呂、源氏、足利、徳川
というイメージだと思います!
全員が時の権力者となっていいるわけですが、征夷大将軍とは一体どのようなものでしょうか?
とういうことで今回は、
征夷大将軍と三幕府の歴史と違いについて解説していきます!
征夷大将軍の歴史と特徴
征夷大将軍の始まり
征夷大将軍はもともと飛鳥、奈良時代に東北地方の蝦夷を倒すために置かれた臨時の役職です。
夷を征す大将軍といった感じですが、元々、「大将軍」という役職は存在していました。
「大将軍」についた者としては、下毛野古麻呂などがあげられます。
そこから、紀古佐美が蝦夷討伐のための征東大将軍に任じられます。
そこから坂上田村麻呂が征夷大将軍に任じられましたが、彼らの時代には幕府という概念や仕組みはありませんでした。
幕府という体制を作ったのは源頼朝です。
ではなぜ、源頼朝は征夷大将軍になったのでしょうか。
頼朝と武門の棟梁としての征夷大将軍
頼朝はなぜ征夷大将軍になったのでしょうか。
平氏を倒した後の最大のライバルである奥州藤原氏を夷(敵)とし、成敗するため。と考えるかもしれませんが、
征夷大将軍についたのは奥州藤原氏を倒した後です。ではなぜ、征夷大将軍になったのか。
それは征夷大将軍は朝廷(天皇)から任命される最高位の官位であり、統治権を敷くことができたからです。
また、源氏ではなく武門の棟梁としての色付けにもなります。
幕府として武家をまとめ、支配する礎(方式)を源氏は築き上げました。
この時から、征夷大将軍は武門の最高位であり、頼朝の出である清和源氏の血を引くものが就くものとされました。
百姓上がりの秀吉が征夷大将軍にならなかった理由はそいうことです。(家康は末裔であると自称した)
しかし、執権北条家による傀儡政権が三代将軍実朝の死を契機に樹立されます。
それがいわゆる、摂家将軍と皇族将軍です。
この2つについて詳しくはこちらをどうぞ!
↓
そうして、鎌倉幕府は滅亡を迎えました。
足利将軍家
鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏も征夷大将軍に任ぜられ、足利将軍家は15代まで続きました。
しかし、頼朝のような強力な将軍が続いたわけではなく、摂家、皇族将軍のようなお飾り将軍が応仁の乱を機に乱立されます。
足利将軍家は直轄地が少なく、一方の管領家や四職も領地をかなり持っています。
これが引き金となり、管領細川家が将軍を擁立する動きがでてきます。
そこから大内や三好家、そして織田信長も将軍を擁立しました。
将軍が朝廷の権威を借りるように、当時の大名たちも将軍を擁立し、その補佐として権威を高めようとしました。
虎の威を借るということが繰り返されていたのです。
豊臣家と徳川将軍家
室町幕府を崩壊させた織田信長は天下まであと一歩のところで討たれてしまいます。
信長に代わって、天下を取った羽柴秀吉は源氏の血を引いていないため、関白に任命されます。
しかし、秀吉が死んだときには後継の秀頼はまだ幼く、関白職を世襲(引き継ぐ)することができませんでした。
秀頼の官位はまだ低くかったため、幕府のような体制を作れず、関ヶ原で勝った徳川に権威で覆されてしまいます。
そうしている間に家康は征夷大将軍に任命され、嫡子秀忠に将軍職を世襲させました。
これにより、一大名となった秀頼は大坂の陣で滅亡に追い込まれます。
世襲を成功させ、他の幕府と異なる政策である一国一城令や参勤交代、厳正なる年貢の調達や経済政策を施し、
徳川家は安寧の世を築いていきます。
そうして、明治維新を迎えます。征夷大将軍という官位は廃され、現在に至ります。
まとめ
今回は、
征夷大将軍と三幕府の歴史と違いについて解説していきました!
今回は征夷大将軍についての話でしたが、曖昧な将軍という概念を理解できたのではないかなと思います。
日本史嫌いな方の支えになる為にももっと解説ブログを書いていきます!
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