こんにちは!
武田塾宝塚校 校舎長の林です。
今回は校舎長の自己紹介を書いてほしい!と言う事で、HPのTOPにも結構書いてあるのですが、自分が一体どんな奴なのか?
と言うのを少し紹介してみようと思います。
任期5年目になります。
2017年の9月にご縁があり、最初は神戸三宮校の校舎長をさせて頂く事になりました。
そこまでは教育業界がどういう業界か?と言うのも全く分からず、色々自分の人生を踏まえた上で教育業界に挑戦しようと思い、かれこれ4年校舎長をさせてもらってます。
その間に色んな生徒に神戸三宮校にお越し頂き、
数々の合格を輩出してきました。
順当に思える大学や「え?こんな高校から?!」、「この状態で?!」と言うのもいくつかありますので抜粋してお送りします。
これが自分と校舎にいる講師たち、入塾してくださった生徒が出してくれた実績になります。この実績により、300校舎の中から合格実績優秀賞、400校舎の中から年内に合格をたくさん出した実績を取ることが出来ました。
これは決して自分だけの力では取れるものではありません。生徒の為に頑張ってくれた講師、自分の為に頑張った生徒がいた故にできたことであり、自分一人の力なぞたかが知れてると思います。なので、この校舎でそれを一からまた作り上げていく最中ですが、講師と共に成長していきながら第一志望に向けて合格させることが出来るように邁進していきます!
高校、大学受験までの過程を教えて下さい。
中学入学時は妹を浜学園に入れたいと言う親の方針がそのまま自分にも来たせいで小学校の5.6年はよく親が勉強を教えてくれましたが、正直そこまで勉強が好きではありませんでした。
浜学園、分かりますかね?関西では超有名な進学塾です。
灘、東大寺当たり前みたいな人が通ってる塾で、大阪で知らない人はいないのではないか?と思います。
浜学園では当時(今は分かりませんが)月に一度の入塾テストみたいなのがあり、僕も2回ほど受験したのですが落ちました。
片や僕と6歳離れてる当時年長組の妹がその入塾テストに合格し、国語の成績は学園内2番と言う成績を残し入塾テストをパスします。
そりゃそうです。かたやマンガばかり見てる自分と、母親の影響で推理小説ばっかり読んでる5歳児。もはや差は歴然でしょう。
中学でもそこまで勉強に身は入りませんでしたたが、塾には行かせる!と言う親の方針で近所の小さい塾に行かされます。
ここまでで自分は親に言われて行かされてる習い事が多く、そのことごとくを辞めてきました。
理由としては
自分で自ら進んででは無いので、全く興味を持てなかったのです。
覚えてるだけでも水泳、ピアノ、体操、空手、そろばん、英会話と散々習わされてきましたが、
自分に身に付いてるものは全くありません、だって結局最後の最後大学受験で悩まされたのも英語ですし。
なので、習わされたものに関してこの12歳までの人生で何も身に付いて無かったわけです。
そりゃあ、やらされてますから身に付くわけないんですけどね。
ただ、この行かされた中学校の塾は自分の人生で良かったと感謝してます。
中学校の塾の先生との出会い。
そこまでの自分は
正直自分にあまり自信のない人間でした。
まぁ、そうですよね、将来性のある妹の方が出来はいいですし、自分は何も情熱の持てる物がなかったわけですから、
「こりゃダメだ」
位にうちの親も思ってたかも知れません。
ただ、中学に入って自分も妹より確かに出来は悪かったですが、勉強自体が少し楽しくなってきており
「塾はまぁ、いったろか」
位の気持ちで行ってたんです。
そこの塾長は数学の先生で、
苦手としてた数学がグングン上がって行き、その先生と話してるのが凄く楽しかった
のを覚えてます。
授業終わってから進路について色々話したり、部活の事で悩んだり、家の事で悩んだりと言う相談を全部聞いてくれる先生で、
中学校の先生より自分の中で信頼できる先生になってました。
そんな自分も中学3年生になり、塾の先生に進路を相談しました。どうしたらいいですか?と。
その当時はインターネットなど普及しておらず、学校の先生がおっしゃること、書店で販売される高校データみたいなもので情報を仕入れるしか方法が無く、何を基準に決めたらいいのか全く分からなかったのです。
そこで塾の先生は一言
「住吉にしたらいい。住吉が一番合ってる」
と言う事をおっしゃって下さいました。
僕は大阪に住んでおり、当時の第6学区と言う所に属してました。
↑これは現在の大阪の学区です。昔は第9学区まであり、自分の住んでる区も含め、天王寺区、東成区、浪速区、西成区、阿倍野区、住之江区、住吉区が第6学区に属しており、6学区のTOPは今も名高い天王寺高校、その次が住吉高校で、自分の性格上そこが一番合ってるとおっしゃって下さったのです。
後、学校の先生方がいまいち信用できなかった理由として、自分の中学校はかなり特殊で、校区内の受験学年の9割が旧3学区(TOPが大手前高校、次に市岡、旭と続く)で、僕の第6学区に対する情報がほぼ無かったのです。(旧第3学区は自分の自分の区では無いのではっきり覚えてないのですが、旭区、都島区、城東区、鶴見区、福島区、此花区、西区、港区、大正区などがそれに該当します)
なので聞いても「?」みたいな風に見えたのでそこからあまり学校の情報だけが全てではないと言うのを気づきました。
ですが、
当時その高校に行くにはかなり頑張らないといけない状況でした。
学校の先生にも「行かれへんよ」と言われ、住吉の2ランク下の高校を勧められる有様。
1月の3者面談でももう少しと言う所まで来てたのですが、受けても合格しないの一点張りだったので「あー、実績欲しいだけか、こいつ」と思った僕は「じゃあ、私立は言う事聞くんでそこ受かったら公立は僕の言うとおりにさせて下さい。それで落ちても恨みませんし。」と言ったのを今でも覚えてます。
で、私立は学校の先生の言ってた私立を受験し(阪南大付属高校の国英科?だったような気がします。)、
公立で住吉高校を受験し合格したのです。
余談ですが、公立高校の合格発表の当日の朝は地下鉄サリン事件当日だったことを覚えてます。
家出る前に大騒ぎになっており、気になりながら家を出て(もちろん当時スマホはありませんから途中経過は分かりません)、高校に行って合格発表を見て帰ってきたらえらい事になってたのを覚えてます。
そんなこんなで中学校の塾の先生のおかげで僕は志望校に合格する事が出来ました。
この原体験が今でも生きてるのかも知れませんが、
僕は生徒が「ここ行きたい!」と言う志望校に対して否定をする事は一切ありません。
そこのギャップが大きいにも関わらず頑張れない生徒には
「それでは無理やで」
と言う事を言う事はありますが、
一番最初の段階で
「いや、無理やろ」
と言う事はしません。
それは自分自身が無理と思われてた高校に合格し、無理と周りから思われていたであろう大学に現役合格してるからです。
そう、自分の可能性を信じて、やり続けた人には必ず達成する事が出来ます。
なので、自分に自信が無い、と言う方は相談だけでもしてみると、意外に自分の可能性を見出せるかも知れませんよ。
高校入学後、燃え尽き→家庭のトラブル→バイト三昧
高校入学して、勉強に対して少しの自信を持ってた自分ですが、やはり高校に入学してきた生徒はみんながみんな賢く、
それでいてユニークな友達が結構多かったです。
なんせ校風が結構自由なんです。髪の毛染めてもOK、私服、ピアスもOKみたいなそんな高校で
校則なんてあったっけ?
と言うような本当に高校生活を自分の好きなように謳歌すると言うような、
そういう高校で凄く個性的でした。
自分の代の時には国際教養科と言うのもあり、海外への短期留学などもやっていたようですが、
この高校に入学して、やはり少し気が抜けてしまいました。
と言うのは毎日が楽しいのでついつい勉強をしようと言う気にならなくなってしまったのです。
成績は1年の3学期で3分の2まで落ちてしまったものの、
「留年でないからいいかー。」
などとお気楽な事を考えていました。
それに加え、いまいち自分が勉強に身が入らなかった理由としては高1の1月に両親が離婚し、母親と妹が叔母を頼りに東京に行った事でした。
この出来事は当時16歳の自分にはかなりショックでここから勉強には全く身が入らず、
なんなら家に帰りたくなくなってました。
部活は高校でやるのはちょっとと思ってたので、どうにか家に長く滞在しなくていい方法としてアルバイトを始めました。
ファミレスの「ガスト」と言うのが今もあると思うのですが、当時は「すかいらーく」と言う所でバイトを始めました。
僕からすれば凄く衝撃でした。
社会にとっては本当に小さな一歩ですが、自分には全てが新しい世界に見えました。
年上の方と話をする、店長に仕事を任される、違う高校の同い年と遊びに行く、本来普通に生活してたら会う事無いだろうと言う人と話しできたり、仕事観、家庭観について話を聞いたり、遊びに行く、で働いてお金がもらえる、これ以上に最高な事はない、
と家が特にトラブル続きだったので余計にそう思えてしまい、
バイトばっかり入って勉強を全くしないとどうなるか?
高校2年の2月の実力テストで
360人中342番
と言う取返しもつかない成績になるわけです。
予備校って意味あるの?
後の顛末はHPの紹介でも書いてあるのですが、もう少し詳細を言うと、
この成績の分際でまず「どんな仕事がいいかなあ?」と言うのを考えてました。
インターネットなどの無い時代で色々調べた結果「旅行業界で就職する!」と言うのを決めました。
理由は「一番見聞を広められそうで、ただでいい飯食べれて、いいホテルに泊まれる、飛行機も新幹線も乗り放題!最高!」と言う17歳が考えそうな安易な理由です。
安易ではありましたが、まずそこを決め、その業界に行けるための大学はどこだ?
と言うのを考えてたどり着いたのが「立教大学 社会学部 観光学科」です。
ですが、これは父親に反対されます。
「通うなら家から通える所」「関関同立」。
今となれば話は分かりますが家のトラブルの原因が父親にあると思ってた自分としては
「決める前に言うなや!」
と言うようなケンカです。
自分好き勝手しやがって!位の感じでかなり反抗しましたが、結局折れて「社会学部のある大学」を選びました。
ただ、選んだのはいいですが、中々のポンコツでした。どれくらいポンコツか?
英語→「I has a pen」が文法上なんで間違ってるか分からない。
現代文→勘。取れる時と取れない時の差が激しい。
古典→助動詞はおろか単語も分からないので何が何やらチンプンカンプン。
日本史→好きだったので学年でもそこそこよかった。
と言う、私立を目指すにしても「いや、ダメだろこいつ」と先生から言われてもおかしく無いようなそんな状況でした。
ただ、高校の先生は中学の先生と違い、
僕がどんだけ無謀な状況に挑戦すると分かってても「無理」とか「行かれへん」と言う言葉は一切口にせず
「頑張れよ!」
と言ってくれる。
それだけでかなり救われた気がしたのと、勉強法が分からなかったので英語の先生と古典の先生におすすめの参考書を聞いたり、
古文の品詞分解に1学期中ずっとつきあって下さいました。
放課後自分がやった品詞分解のノートを持っていき、次の日にロッカーに赤字だらけのチェックが入ってて、課題を出される。
それをひたすら繰り返しやっているうちに
1学期の間にはほぼ直される内容もない位品詞分解が出来るようになり、古典の物語が凄く楽しくなりました。
片や親の言いなりで4月から行ってた予備校は「何を言ってるんだ、こいつは?」と言うような感じで、
もはや4月の段階で
「やっても意味がない」
と思ったのです。
学校でやってる内容を詳しくやってくれてはいるものの自分のレベルがポンコツ過ぎてもはや異次元の言葉で話してるような、そんな印象を受けました。
これならやっても意味がない、と思い親に内緒で授業を受けるフリをして、予備校の自習室にずっと籠もり、
自分に今必要な物って何だ?と言うのを考えつつ、
分からなければ時には学校の先生に質問しつつ、
過ごしてました。
すると高2の2月で惨憺たる結果だった実力テストが10月には47番になっており、
自分の志望校の関大の判定も9月までずっとE判定だったのが最後の11月(当時は大きい模試が11月で終了してました)の判定でC判定が出る等、
目に見えて力がついてると言うのが分かったのです!
「よっしゃ!いけんじゃね?!」
と言う思いで意気揚々と2月の受験に臨んだのです!
そんなに甘くないのが関関同立
正直関大のイメージは「関関同立の中で下位」と言うイメージで公立を目指す人からしたら眼中にも無いような大学でしょう。
ただ、当時の自分のプロセスを考えた場合現役で取れるMAXはここしかないと思ったわけです。
なので、併願校など自分の頭の中には無く、高校受験の時からもお分かりになるように「ここ」と決めたら「ここ」以外考えらない性格でした。
なので関大をことごとく受験したのですが。。。
全学部日程(社会学部)、法学部、文学部、経済学部、商学部、社会学部、総合情報学部
の計7学部受験し、
全 滅 !
と言う完膚なきまでに叩き潰されたわけです。
「さすがに一年頑張ったくらいで行けるようなお手軽な大学ではないよな・・・」と言う失意の中、高校の卒業式を迎え、3年間クラスが一緒で同じ関大を目指してる友達と話をする機会がありました。
僕「どうやった?」
友人「お前はどうやった?」
僕「もうあれしよか、せーのでいおか。」
友人「せーの」
僕・友人「落ちた!」
言うて何か大笑いしたのを覚えてます。
その二人がまさか後期試験で二人とも滑り込むとは夢にも思いませんでしたが
・・・僕は16倍の社会学部、友人は24倍の商学部でした。
最後の最後頑張った人間にご褒美くれたんかなー?と思いながら、
なんやかんや言いながら僕自身は高校、大学と自分の思い通りの受験を過ごす事が出来ました。
就活は?
大学は生活は楽しかったの一言です。
全国から関大に来る生徒がいて、同じ18年でも本当に違う生き方をしてる人ばっかりで価値観も何もかも違うので全てが新鮮でした。
かなり遊んでいましたが、自分の当初の目標だった旅行業界に必要と言われている旅行業務取扱主任者の資格を3回生で取得し、いざ就活頑張ろう!と思っていたのですが、その年まで自分自身気付かなったのですが、「自分が一体何が得意で、どういう性格なのか?」を上手く表現する力が無かったのです。
まぁ、勉強以外は本当に何もやって来てない人間でしたので、いきなり「あなたはどういう人ですか?」と言われた所で自分をどううまく表現したらいいのか分かりませんでした。
大手の旅行業者はことごとく不採用となり、自分が高校の時から思っていた旅行業界に黄色信号がともるのですが、色々職種を考えて行った結果ツアーコンダクター(添乗員)をやりたいと思い、派遣社員ではありますが、添乗員をやり始めました。これが自分のキャリアのスタートです。
大学の友人には「教育めっちゃ向いてるんちゃう?面倒見いいし」と言う話を聞いたりもしてましたが、
正直教育業に関しては当時全く興味はありませんでした。
なぜなら
「自分の言葉・行動がその人の人生を大きく変えるかもしれない」
と言う事を考えた場合、
自分がそこまで胸を張れる人間か?
と自問自答した時にとてもではないですが
その自信は当時の自分には全くなかったからです。
という訳でその時はまだ教育業でやってみたい、と言うのは微塵も思ってませんでした。
インターネット革命により旅行業界にも激震。
添乗員の仕事は自分には凄く合ってると思いました。
自分が高校の時に思ってた好きな時に好きな所に行ってうまいものを食べて、いい景色を目で見て、見聞を深めると言うのが凄く自分の人生においてプラスになってます。
なのですが2005年あたりから「ネットで宿泊予約できるようになった」のです。
当時旅行を申し込むのは必ずと言っていいほど旅行会社に行き、バス、電車、飛行機のチケット、宿泊予約、そこに行った際に必要な施設のチケットなど全て一括で手配してもらうのが主流だったと思います。
が、ネットで宿泊予約が取れるとなると旅行会社を介さずとも予約が出来てしまうわけです。
それが出来た時に、直感で「旅行業界はもうダメかもしれない」と思ってしまったのです。
自分一人で何か変えられるような流れではない、そんな有効な人脈がある訳でも無い、そこでまだ25と言うのもあり、まだ考え直せるのではないか?と思い、当時を思えばかなり早かったのですが見切り発車で旅行業界で働く事を一切やめてしまいました。
「高校からあこがれてた職業をそんな簡単にやめていいん?」と今の自分なら思いますが、その当時の自分には他にいい方法が思いつきませんでした。
ですが、やはりそこから色んな意味で迷走します。
やはり、そこの目標をなくしてしまったので、何をしたくなったのか自分でも分からなかった時期だと思います。
通信業→IT業とやったのちリーマンショックでシステム系の仕事が全部なくなった所で→飲食業と転々としながら今に至ります。
飲食業からここ?大学の時にあんなに嫌がってたのに?と思われたと思うのですが、自分が何かを指導し、その指導した子が仕事が出来るようになったり、後輩に頼られるような人になったりと言うのを飲食業では見る機会が多くなり、
人の成長していく過程を見るのが生きがいになってる自分がいました。
それに気付いた時に「教育業でもいいんかな?」と思うようになり、今に至ってます。
社会出てからは本当に色々あったと思います。
そこまで真面目に人生を考えてなかった奴が社会の厳しさにしっぺ返しをくらったようなそんな感じです。
が、それもいい経験となってたまにそんな話を生徒にすると「こんな大人になったらアカン!」と思ってくれるのか、下がってたモチベーションが一気に上がる事もあります。
他の方から見た校舎長って?
たまに合格体験記とかで生徒が僕の事を書いて下さったりしてるので、それを見てもらえれば分かるかもしれませんが、
一番濃い内容で書いて下さったブログはこれでしょうか?
【合格体験記】苦しんでたどり着いた! 関西学院大学 経済学部に合格!
いつでも楽しそうにしてると言うのが僕のイメージでしょうか?
時に相談してくれたり、と言うのは自分の中学の時の体験が原体験になってるかも知れませんね。
林先生は一言でいえば大阪の陽気なおっちゃんみたいな存在です。いつも元気でボケたりツッコんだりしながら大爆笑している先生なのですが、一方で生徒の事をよく考えていて話しかけやすくどんな些細な悩みでも真剣に聞いてくれる三宮校のお父さん的存在です。実際自分も林先生によく相談に乗ってもらい時には閉館時間が22時なのですが23時まで親身になって相談に乗ってもらった事もありました。林先生、本当にありがとうございました!
学校の先生からも、家の人からも見捨てられても自分だけは絶対見捨てない!と言う思いはあります
(生徒さんがその期待に応えて頑張ってる、と言う前提条件ではありますが。。。)
講師紹介をしてるブログもありますのでそちらも参考にしてもらえると有難いです。
・校舎長はどんな人ですか?
割と何でも相談出来る人柄で、生徒の勉強の進め方のアドバイスであったり、人生相談とかも親身になって相談出来るタイプの人です。いじり方は雑いですが、よく人のことをみてるなぁ、と思います。
・校舎長はどんな人ですか?
誰に対しても同じ態度で接していて、とても話しやすい人です。校舎長と言うイメージをいい意味で壊している人だと思います。
という感じです。気さくな話しやすいおっちゃんみたいなイメージですかね?
自分が持ってるモットーは?
「自分に自信が持てない生徒に自信を持たせます!」
・・・これはここまでの僕を見たらわかりますかね?僕自身も自分にあまり自信を持てない人間です。そんな自分でも「社会に出るうえで自分が自信を持って戦えるのはこれ!」と言うのを少ないですが持って生きてます。ですので自信が無い生徒がここで受験を終えた頃には自分に自信が持てます!
「頑張る生徒は最後まで見捨てません!」
・・・頑張れない原因はきっとあります。そこを改善し、一緒に頑張って行きます!
自分が大きい壁にぶち当たってる、いまいち自信が持てない、頑張りたいけど、頑張れないと言う方は是非受験相談にお越しください!お待ちしてます!