磯子区の歴史調査!
武田塾杉田校がある磯子区について調べてみました!
今回は歴史編です。古代の磯子区から遡り中世~近現代、現在の磯子区まで網羅しています!!
古代の磯子区
磯子区の歴史は古く、縄文時代・弥生時代・古墳時代の村の跡を見ることができます。
それが磯子区岡村にある「三殿台遺跡(さんとのだいいせき)」です。
有名な三内丸山遺跡(青森)や吉野ケ里遺跡(佐賀)に比べれば、知名度は低いですがこんなに近くにあるとは驚きです!
三つの時代を跨ぐ遺跡はとても珍しいということです。
またの名を「屏風ヶ浦岡村貝塚」と言い、住居だけでなく貝塚も残っています。
小高い丘の上にあり、景色も良いと評判で、
天気のいい日は富士山も見えるそうです。
そして何とゆずの「すみれ」という曲のPVにも出てくるんです!
ゆずの二人は元々この磯子区岡村出身のアーティストなのですが、子どものころにこの遺跡で遊んでいたそうです。
中世の磯子区
磯子区の名前の由来
その後平安時代から戦国時代中期までは、平子(たいらこ)氏という豪族が磯子区を治めていました。
ただ磯子区だけではなく、中区や南区も領有していたそうなので結構な広さですね。
この一族で一番著名な平子有長という人物は「吾妻鏡」や「曽我物語」に登場しています。
そして何と「磯子」の名前はこの平子氏のニックネームに由来するそうです!
恐らく「磯の近くを治めている平子氏→磯子」なのではないでしょうか。
これは知りませんでした…。
そういえば屛風ヶ浦という地名も磯子のすぐ傍で、
海に迫る山が屏風を立てたように見えたことから、
源頼朝が命名したことが由来ですよね。
この時点でもう磯子に歴史あり!と叫びたい気分です(笑)
2つの八幡宮
この時代には「根岸八幡宮」と「杉田八幡宮」も建立されています。
その前に八幡とは何ぞやというお話ですが、八つの旗という意味だそうです。
もともとは4世紀の応神天皇を祀った信仰で、
それが鎌倉時代に武家の信仰とともに全国的に拡大したとのこと。
一般的には571年に大分の宇佐に初めて顕現したため、宇佐八幡宮が総本山とされています。
が!
「磯子区歴史年表」によると根岸八幡宮は534年に建立されたということで、まさかの根岸が早い…。
これは論争を呼びそうなので、あまり深入りはしないでおきましょう。
とはいえ磯子区七不思議に認定されますね!
「杉田八幡宮」は1063年に建立されました。
創建者は源頼朝、義経兄弟のひいひいおじいちゃんにあたる源義家で、
義家は奥州討伐の帰路で「杉田八幡宮」を武運長久のために建立したそうです。
同じタイミングで鎌倉の鶴岡八幡宮も建立されたため、兄弟寺と言えると思います。
ちなみに武田塾杉田校にも「杉田八幡宮」でいただいた合格祈願お守りが飾ってありますよ!
杉田の地名の由来
1301年には「杉田」という地名の由来となったお寺「東漸寺」が建立されます。
場所は杉田駅から歩いて3分くらい、商店街の裏道にひっそりと佇んでいます。
この「東漸寺」にかつて存在した、杉の木に軍旗を立てたことを由来に杉田と呼ばれ始めたそうです。
こう見ていくと磯子区には由緒正しい寺社仏閣が多いですね!!
戦国時代後期~江戸時代の磯子区
そして戦国時代後期には平子氏に代わり佐々木氏が磯子区を治め始めました。
居城の笹下城は、江戸と鎌倉を繋ぐ要衝として「伝えの城」の役割を果たしていたそうです。
後にこの一族からは間宮林蔵や杉田玄白が輩出されています。
そのまま江戸時代を迎え、磯子区は梅の一大観光地となります。
杉田梅林には江戸から多くの人が観光に来たようです。
今でも梅林という地名が残っていることに当時の隆盛が伺えます。
当時の梅林の姿はもうありませんが、幻の梅「杉田梅」は小規模ながら、なんと今は小田原で普及・復興の取り組みが行われているそうです。
また実は、磯子で獲れる「ある海産物」も絶品として有名だったようです。
それは「ナマコ」です。
これもあまりの人気っぷりに、税金がかけられた記録も残っています。
「煎海鼠」とはナマコを乾燥させた食品で中華料理では高級食材でした。
そういうこともあり当時は貿易においても大変重宝されたようです。
近代~現代の磯子区
近代の磯子区
その後、江戸時代末期にはペリー来航に伴う海岸防衛のため、磯子区は幕府の直轄地になり、
明治時代や大正時代には、合併や再編を繰り返し現在の磯子区の原型が作られていきます。
この時期には日本初の本格的な競馬施設、横浜(根岸)競馬場も開設されます。
所在地は厳密にいうと磯子区ではなく、中区らしいのですがそこはご容赦ください。
最初は文明開化で来日した外国人が楽しむための施設だったようですが、
徐々に日本人にも娯楽として受け入れられていきました。
その為、日本の競馬場の構造や規則は横浜競馬場をもとに作られているとのことです。
現在では敷地は整備されて根岸森林公園となりましたが、「根岸競馬記念公苑」「馬の博物館」なども隣接しており日によっては乗馬体験も出来ます。
昭和の磯子区
そして1927年(昭和2年)横浜市の区政施工により、いよいよ磯子区が発足します。
当初横浜市は5区しかありませんでした。
(磯子区のほかは、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区)
なので磯子区というのは歴史的にもなかなか誇れる地名かもしれません。
戦後、間もなく磯子区から金沢区が分離する形で今現在のこの地域の行政区分となります。
また高度経済成長期には京浜東北根岸線が開通し、アクセスは格段に便利になります。
ただそれと同じ時期に横浜市電が廃止されます。
時代の移り変わりというか、車社会になっていく日本を象徴しているようですね。
その時の車両は横浜市電保存館にもあるので、興味のある方は是非足を運んでみてください。
市電保存館は磯子区滝頭、JR根岸駅から徒歩20分くらい、バスで10分くらいの場所にあります。
杉田駅と新杉田駅
その後杉田駅は1948年(昭和23年)に京急線の駅として稼働を始めました。
さらに駅としては湘南電気鉄道の駅として1930年(昭和5年)から開業しています。
新杉田駅が1970年(昭和45年)に開業したことを考えるとなんと40年の差があるのです!
意外と年齢差があるんですね…。
アニメ映画の舞台に抜擢
この様な歴史を経て、現在の磯子区になるわけですが、
最近では有名なアニメ映画の舞台にもなりました。
細田守監督の「未来のミライ」という映画です。
この映画のテーマは「家族の歴史を巡る冒険」で、自分にはどんなルーツがあるのか、ご先祖様はどんな人生を生きていたのかを考させられる内容です。
磯子区・金沢区を舞台にしていて、冒頭にいきなり磯子区を空から見た風景が出てきます。
そして富岡あたりにズームアップしていって、その家に主人公くんちゃんが住んでいます(笑)
多分この辺です(笑)
映画の中でも磯子区・金沢区の有名な場所が出てきます。
例えばくんちゃんが自転車の練習をする場所が根岸森林公園(前述の横浜競馬場の隣)であったり、名前だけですが磯子駅も出てきます。
さらに筆者が一番シビれたのは70年前の国道16号線をバイクで走り抜けるシーンです。
国道16号線聖天橋交差点から磯子方面
国道16号線聖天橋交差点から富岡方面
磯子区の大動脈「国道16号線」ですが、映画の中では70年前のその名残を現代に感じる場所が次々に出てきます。
なかなかそんな古い映像や写真を見られることはないので、磯子区の歴史に大いに思いを馳せることができますよ。
今後の磯子区
そんな磯子区ですが、現在は日本全体の例に漏れず、少子化問題に直面しています。
戦後早くにベッドタウンとして整備されたため、長く住んでいる高齢者が多く、今後20年間で人口が約2・8万人減少すると見込まれ、高齢化率も26%から36%への上昇が予想されています。
また横浜出生率(横浜在住の親から生まれる率)が6割と中区、南区に次ぐ数値となっているのですが、ただ個人的にはこの数字は磯子区が長く住みやすいことを証明している数値のようで、ポジティブにも捉えています(笑)
そんな中で2018年にまちづくり方針(横浜市都市計画マスタープラン磯子区プラン)が発表されています。
様々な未来への施策が書いてあるのですが、大きな変化として個人的に注目しているのは、杉田緑地公園と磯子駅を徒歩でも移動できる健康や環境に配慮した歩道を作るということです。
確かに現在の磯子区は各地域に魅力はあるのですが、それを繋げる事でより魅力的な磯子区になると思うので大いに期待しています!
おわりに
いかがだったでしょうか?
このような磯子区にある武田塾杉田校ですが、興味を持っていただけたらとても嬉しいです!
また皆さんの歴史などの勉強に少しでも役立てればさらに嬉しく思います。
無料受験相談随時受付中!
武田塾では随時無料受験相談を行っております。
志望校に関しての相談はもちろん、
勉強方法や受験に対する様々なことについて
アドバイスを行っております。
お気軽に武田塾に相談にお越しください!
磯子区杉田周辺でオススメの個別指導塾をお探しの
中学生、高校生、浪人生、保護者の方はコチラ↓
高校受験、大学受験の
悩み・不安を解決します!
武田塾杉田校