こんにちは、武田塾下曽根校です。
今回の範囲についても、世界史の勉強法の基本タテの軸とヨコの軸で考えていくことが大切です。
また地図もしっかり頭の中に入れておきましょう。
地図
明の首都は、南京から北京に移っています。
他の王朝と区別して、間違えないように注意しましょう。
地名はもちろん、出来事や周辺情報と一緒に覚えることが大切です。
バラバラに覚えると、意味が分からなくなると思います。
地図でオスマン帝国の領域を確認したり、皇帝の肖像画やモスクの写真などを見て、イメージを掴みましょう。
北方のモンゴル民族として、西側のオイラトと東側の韃靼が挙げられます。
また鄭和の南海遠征も、地図を見てルートを把握しておきましょう。
タテの軸
タテの軸としては、洪武帝→靖難の役→永楽帝→衰退→改革と滅亡という流れで覚えましょう。
初代皇帝の洪武帝はさまざまな取り組みを行っているので、区別して覚えましょう。
その後は、靖難の役を軸に前後関係を把握しましょう。
後半は「衰退し、改革を試みたが、叶わずに滅びた」経緯が重要です。
洪武帝
建国
紅巾の乱で活躍した朱元璋は、1368年に明を建国。
南京に都をおいて、元号を洪武と定めました。
これ以来、朱元璋を洪武帝を呼びます。
洪武帝は即位後すぐに、明律・明令という法典を作成しました。
その一方で、政治の最高機関である中書省や宰相を廃止しています。
また六部を皇帝直属の機関にするなど、皇帝による独裁体制を確立したのです。
行政の整備と朱子学の官学化
村落行政組織を構成するため、里甲制を施行。
賦役黄冊と呼ばれる戸籍簿・租税台帳や、魚鱗図冊と呼ばれる土地台帳を作成させました。
唐の府兵制をモデルとし、衛所制という兵制も設立しています。
漢民族の伝統の回復と秩序維持のため、朱子学を官学化したのも洪武帝です。
科挙を整備し、有能な人材を広く募りました。
対外政策と六諭
モンゴルと対峙するために、地域の「王」に対して、軍事勢力を持たせています。
1388年には、北元を滅ぼすことに成功。
その後、モンゴル高原の東側では韃靼が、西側ではオイラトが割拠しました。
また14世紀、日本の南北朝の動乱期に、前期倭寇という海賊が活発化。
これを制限するため、勘合という割符を用いた勘合貿易が始められました。
洪武帝は死の1年前にあたる1397年に、六諭と呼ばれる民衆教化の教訓を発布しました。
靖難の役
洪武帝の孫、建文帝が2代目として即位。
しかし建文帝は諸王への抑圧政策を採って、反抗を招きます。
そして彼の叔父である燕王・朱棣が起こした、靖難の役と呼ばれるクーデターに繋りました。
永楽帝
1402年に南京を攻略した燕王・朱棣は、成祖・永楽帝として即位。
すぐに内閣を設置し、皇帝の補佐役としました。
紫禁城の完成後の1421年には、都を北平に遷し、北京と改称しています。
また南海遠征も重要です。
永楽帝が燕王だった頃から使える宦官の鄭和を指揮官とし、大航海が行われました。
これはアフリカ島海岸のマリンディにまで到達するものでした。
明の衰退
土木の変
15世紀の半ば、オイラトのエセンがモンゴル諸部族を率いて南下。
これを撃退すべく、6代・正統帝(英宗)が親征に出ます。
しかし1449年に明軍はオイラトに大敗。
正統帝は捕虜になりました。
この事件を土木の変と呼びます。
アルタン=ハンと張居正
16世紀半ば、韃靼の勢力を拡大させたアルタン=ハンが、明に侵入するようになります。
主席内閣大学士の張居正は、このアルタン=ハンと講和。
隆慶帝が亡くなったことを受けて、その子の万暦帝の補佐に指名されました。
改革の挫折と滅亡
万暦帝
16世紀後半の14代・万暦帝(神宗)は海禁政策を強化。
その結果、日本人と連携した中国人の密貿易者が後期倭寇として海賊行為に及ぶことになります。
また土地税と人頭税を一括して銀で納める、一条鞭法が江南から施行され始めました。
1604年、顧憲成は江蘇省無錫に東林書院と呼ばれる学問所を建設。
そこで政治批判を行いました。
●東林派…東林書院を中心とする官僚集団 ●非東林派…宦官と結んで政権を掌握していた集団 |
東林派と非東林派は不毛な争いにふけり、国の衰退に拍車をかけています。
滅亡
最後の皇帝・崇禎帝は、財政の立て直しを図ります。
そこで学者の徐光啓を内閣大学士として登用しました。
しかし1644年、李自成が率いる農民反乱が勃発。
明が滅亡するきっかけとなります。
ヨコの軸
貿易
日本とは勘合貿易を行っていました。
硫黄や刀剣、銀などを日本から輸入したことで、日本銀が流通することになります。
スペインのアカプルコ貿易に福建商人が加わったことで、中国にメキシコ銀(墨銀)も流入しました。
メキシコがスペインの植民地だったことを意識して覚えましょう。
北虜南倭
北方と南方からの外敵の侵入は、明朝を苦しめました。
これらを総称して北虜南倭と呼びます。
北慮
洪武帝が1388年に北元を滅ぼしたのは前述の通りです。
その後、モンゴル高原の西側ではオイラトが、東側では韃靼が割拠しました。
●オイラト ・西側 ・エセンが土木の変を起こす |
●韃靼 ・東側 ・アルタン=ハンが張居正と講和 |
南倭
前期倭寇と後期倭寇に別れています。
倭寇と言っても、後期は中国人が主体となっているので注意してください。
●前期倭寇 ・14世紀(日本の南北朝の動乱期) ・これを制限するため、勘合貿易が始められた |
●後期倭寇 ・16世紀後半 ・14代万暦帝が海禁政策を強化して活発化 ・日本人と連携して海賊行為に及ぶ、中国人の密貿易者 ・万暦帝と同時期、日本の豊臣秀吉も厳重な取り締まりを行う |
明の社会
農業
中小農民は、高い地代や税を負担しなけらばいけませんでした。
そこで現金収入を得るため、絹織物・綿織物の家内工業を営んでいたことを覚えておきましょう。
また小作料として、収穫の5割以上を地主に搾取されていたケースもありました。
農民たちは、抗租運動を起こしてこれに反発しています。
16世紀、穀物生産地がそれまでの長江下流域から中流域(河南省や河北省など)に移っています。
この結果、「湖広い熟すれば天下足る」と言われるようになりました。
客商と郷紳
客商(遠隔地商人)が活躍をしていたのもこの時期です。
中でも、安徽省出身の徽州(新安)商人や山西省出身の山西商人がよく知られています。
各主要都市には会館・公所と呼ばれる客商の相互扶助のための施設が作られました。
明代には、富裕層の中から科挙の合格者が多く出現。
郷紳と呼ばれる地方社会の実力者になりました。
文化
景徳鎮の特産品として陶磁器が有名だったことも良く出題されます。
語句の覚え方
まとまりで覚える
柱となる王朝の名前、首都、建国者、有力な皇帝、その文化などを整理しましょう。
一つのまとまりをセットで覚える習慣を作りましょう。
・王朝…明 ・首都…南京(1368~)→北京(1421~) ・建国者…朱元璋(洪武帝) ・有力な皇帝…洪武帝、永楽帝、万暦帝など ・文化…朱子学、南海遠征、東林書院、陶磁器 |
イメージを掴む
例えば魚鱗図冊は、その名の通り魚の鱗のような形の図面です。
資料集などを見て、言葉だけでなくビジュアルも利用して覚えましょう。
まとめ
明の歴史は日本と関りも深く、重要な範囲です。
覚えることは多いですが、今回の記事を参考にすれば理解が進むと思います。
前向きに勉強していきましょう!
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