大学受験専門予備校、武田塾神戸三宮校の北野智規です!
受験生は部活もそろそろ終わりに近づき本腰を入れて行かないと!と思ってるのではないでしょうか?
さて、大学を目指す人は国公立を目指す!これは全国の学生さんで少し勉強に自信のある方なら誰もが持っている共通見解です。
兵庫県下の方なら神戸大学、関東の方なら東大、一橋、東工大など。どこの都道府県に行ってもまずは地元の国公立だ!という思いは強いと思います。
では、私立はどうでしょう?自分が受験生の時の私立大学のステータスとして関東は東大を含む「六大学」という名称で呼ばれており、東大、早稲田、慶應、明治、立教、法政の六大学を指していました。今のような「早慶上理」「MARCH」等の名称はありませんでした。
ただ、西日本の学生で目指す私立大学において自身が受験生の時代からずっと憧れの対象にあるのは「関関同立」です。
これは自分の親の代からある一つの目標・指針となる大学の名称で、下手すれば大阪市大、大阪府大よりも関関同立にこそ価値がある!と大阪府民の僕は教えられました。
それくらい、この「関関同立」という名称は愛され、国公立大学を目指される方でも「最低ここ」という指標になっているのではないでしょうか?
そして、関東のように目まぐるしく序列が変わるという事もなく、今までずっと呼ばれ続ける名称となっております。(まあ、近年近畿大学の躍進は目覚ましいものがあり、そろそろ変わるかもしれませんが・・・)
ただ、この「関関同立」という名称。考えれば考えるほど疑問に思う事があります。
そもそもこの名称はいつくらいから使われ始め始め、浸透しているのでしょう?
偏差値的に考えて最初同志社が来るものじゃないの?
など、何かスッキリしない問題がいくつかあります。なので今回はこの「関関同立」という名称がなぜ生まれたのか?というのを考えていきたいと思います。
関関同立の名称を考案したのは予備校の創始者?
この関関同立という言葉、世に広まり、浸透していったのは大学受験生向けの月刊雑誌「蛍雪時代」が昭和40年(1970年)頃に掲載したのが広まって行ったきっかけだとされていますが、そもそもこの「関関同立」という名称を考案したとされる人物がいます。それが大阪にある「夕陽丘予備校」の創設者である故・白山桂三氏と言われてます。
僕は大阪の天王寺周辺にある高校に通ってたのですが、この夕陽丘予備校を見るたびに「すごく古い予備校だなぁ。こんなところで合格できるんかなぁ?」と受験生時代の自分は思っておりました(本当に申し訳ございません・・・)
ですが、いま改めて思えば、関西の学生が今でも憧れを持って、愛称で呼ばれ続ける「関関同立」という名称を考案された方が創設された予備校と言う事だったというのはとても驚きです。
当時の「関関同立」の一番の受験同期は「滑り止め」
当時白山氏がご活躍されていた1970年ごろ、「関西大学の学生生活実態調査」という特集の中で受験動機として一番多かった理由が「滑り止め」「何となく」という消極的な受験理由が一番多かったそうです。
で、それは残念な事に関西学院大学、同志社大学、立命館大学でも同じ理由で受験してる学生が多かったのです。
今ももちろんそうですが、昔は今以上に国公立至上主義だったのでしょう。
僕は1998年に大学受験をしましたが、その当時はもう既に「一つの目標」である立ち位置であった関関同立のイメージとは大きくかけ離れてますね。
こういった世情の中、白山氏は、
「第一志望に入れなかったなんて言いだしたら、東大を希望したがワンランク落として京大へ行っても同じ。
こんなことで悩んでいたらキリがない。
関関同立に合格したら就職面でも高い評価を受けている大学なのだから、何も悩むことがないのではないか。」
というこの世情をいいイメージでしようと使って言った言葉がこの「関関同立」なのです。
こういうのを聞いてると、今も昔も悩む問題は一緒なのですね。
元々関西大学は入ってなかった?!
当時の関西大学は他の3大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学と比べかなり差が開いており、私立大学において「大阪の私立大学と言えばここだ!」という大学が無かったそうなんです。
当時の関西大学のイメージはマンモス校というイメージのみで大阪の優秀な学生は全て兵庫、京都にある3大学に持っていかれてしまってるという状況だったそうです。
ただ、この「関関同立」という言葉を提唱したのが大阪にある予備校の創設者。
関西の私立大学を盛り上げるという意味では役割を果たしてますが、大阪の予備校が大阪の大学を盛り上げれないという図式はやはり受け入れられる物では無かったのでしょう。
と同時に「関関同立」という名称を使う事により関西大学の価値を相対的に上げようというのが功を奏し、今や大阪では一番の大学になっているわけです。
並びの理由はいたってシンプル?!
「関関同立」という名称。よくよく考えたらすごくしっくりくる並びではあります。例えば当時の序列などで「同関立関」「同立関関」という名称だといまいちしっくりこないような気がします。そういう意味ではよく考えられた並びだと思います。
そもそも「関関同立」という言葉が出来る以前からスポーツの対戦で「関関戦」「同立戦」という言葉は合ったらしく、そこから取られたのではないか?という風に言われておりますが、考案者の白山氏は
「五十音順に並べただけ」という以外にシンプルな理由だったのです。
かんさいだいがく=関西大学の「関」
くぁんせいがくいんだいがく=関西学院大学の「関」
どうししゃだいがく=同志社大学の「同」
りつめいかんだいがく=立命館大学の「立」
これを五十音順にならべたら「関関同立」。そこにはもちろん大阪の大学を盛り上げたいから「関西大学」を前に持ってきたと言う思惑ももちろんあると思うのですが結果的に五十音順になったという、意外にシンプルな理由だったのです。
私立大の人気はこの「関関同立」から始まった。
そこまでは国公立に行って当たり前、国公立でないとだめという風潮だったのがこの「関関同立」という言葉が浸透してから関関同立がブランド化され、私立大のブームが起こったという事なのです。なので、関東では序列が群雄割拠のように変化する名称でも関関同立だけが変わらないのはそういう理由なのです。
いかがでしょうか?そう考えていくといまだに地方の方では根強い国公立人気があるのですが、関西では私立大学の熱が高いのはこういった理由があるんですね。
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