こんにちは、武田塾太田校の中の人です。みなさん、古典の勉強進んでいますか?“古典は苦手!”そんな声が太田校の塾生からは聞こえてきそうです。今回は、受験生の多くが苦手とする科目である『古典』について、ある1つの作品を取り上げてその面白さについて考えてみようと思います。
[目次] |
1. 『蜻蛉日記』ってどんなお話?
今回取り上げるのは、『蜻蛉日記』(かげろうにっき)です。これは武田塾生がルートの中で使用する『古文読解多読トレーニング』の中にも問題文として採用されています。 『蜻蛉日記』は、ジャンルとしては平安時代の女流日記になります。作者は藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)という方です。本作品の成立年代は、天延2年(974年)前後と推定されています。本作品は、上中下の三巻からなっていて、天暦8年(954年)から天延2年(974年)までの彼女の身の回りに起こった様々な出来事について綴られています。題名の由来は、本作品の中に現れる、
「なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし(相変わらずのものはかなさを思うと、あるかどうかもわからない、まるでかげろうのような身の上話を集めた日記とでも言うべきなのか)」
から取られています。
2. 『蜻蛉日記』は嫉妬に満ちた恐怖の書!?
実はこの『蜻蛉日記』、古典を少しでも齧ったことのある人たちの間では結構有名な作品なのです。なぜ有名なのかといえばその内容なのです。私達が普段勉強しているような、『枕草子』や『徒然草』、『平家物語』といった作品は、名文が散りばめられた古典の傑作としてみんなが味わえるような深い文学的・哲学的な内容を含んでいますよね。これに対して、この『蜻蛉日記』は、藤原道綱母(名前が長いので以降は“作者”と言うことにします)とその夫である藤原兼家(あの日本史で有名な藤原道長の父にあたります)の夫婦の関係を綴った非常にプライベートな内容になっています。まぁ、日記なのですから当然ですよね。
その内容が甘いラブラブな二人の関係ならまだ良かったんですが、そこに綴ってあるのは、夫である兼家が全く自分のもとに通ってこないことへの苛立ちや、他の妻たち(この当時は一夫多妻制ですからね)のもとへと、自分の家の前を素通りして(!)行く夫に対しての恨み、相手の女への悪口など、ネガティブな内容が満載なのです!とにかく彼女の日記は自分のもとへ訪れようとしない夫への愚痴、浮気グセへの非難、夫の他の他の妻たちへの罵詈雑言が散りばめられており、なかなかに面白い作品になっています。
3. 『蜻蛉日記』の真髄は、その和歌にあり!
とは言っても、流石に夫への悪口だけを綴ってそれが後世にまで残っているとしたら、作者も嫌だろうし、そこにそれほどの文学的価値があるのかな?って思ってしまいますよね。この『蜻蛉日記』が名作古典として世に残っているのは、この作者藤原道綱母の類まれなる和歌の才能によるのです。彼女はとにかく自分の夫への恨みつらみを巧みに和歌に織り込むのがうまかった、というよりもうますぎたのですね。そんな頭のいい女性だったので、夫の兼家は相手するのが億劫になって、更に足が遠のく。そうすると、より一層彼女は頑なになって、夫婦の愛情は完全に無くなって… という負のスパイラルに陥ります。そんな彼女を慰めてくれたのは、一人息子の道綱の成長と、四季折々の自然の美しさだったのでした。 彼女の日記は、天延2年(974年)、没年より約20年も前の39歳の大晦日を最後に筆が途絶えています。晩年は摂政になった夫に省みられる事も少なく、寂しい生活を送ったと言われていますが詳細は不明です。
4. 日本の古典作品は世界的に見ても内容が面白い!
私は学生時代に古代ヨーロッパの文献について研究していましたが、この『蜻蛉日記』の成立した10世紀頃にヨーロッパ各国で書かれ、現在でも残っている書物と言ったら、その大半が戦争や争いを扱った軍記物的な作品か、もしくは修道士等によって書かれた聖書の翻訳や聖者伝のような、いわば“大変真面目な”内容のものばかりです。私は古代ロシアの文献を深く研究したことがあるのですが、ロシアではこの時期にはキリスト教の聖者伝か、勇ましいロシアの武人伝のようなものしかありません。そんな中で、日本という国では、“夫が他の女のところに会いに行って許せない!相手の女ともども地獄に落ちろ!!”などと激しく、そして直接的に自分の感情を表した作品が書かれ、しかもそれが現代に至るまで受け継がれてきているのです。これは、日本という国の文化の懐の深さを表していると言っても良いでしょう。確かに最初に書かれたときには、“日記”として個人的な想いを綴ったのかもしれません。しかしそこに散りばめられた珠玉の和歌の数々から見ると、おそらく彼女はこれを自らの文学作品として世に残そうという意志は少なからずあったのではないかと私は感じてしまうのです。 そして、彼女の和歌を読んだ後の世の人たちも、後世に残すべきものとしてこの作品を伝えてきたという事実を考えると、日本という国では、少なくとも海外とはまた違った価値観のもとに文学作品が残されてきたのだろうと思われるのです。それは、和歌や俳句に代表されるように、日本では作者の感情を吐露した作品が昔から好まれた、ということも理由の一つになるでしょう。
5. まとめ
このように、普段考えることのない文学作品の成立事情や作者の素顔などを考えると、古典の勉強もなにか新鮮な気持ちで取り組めると思います。うちの教室でも『蜻蛉日記』がこのようなユニークな内容であることを知っている生徒は少なかったようですが、もしこのような事前情報を知っていたなら、問題に取り組むときにも大きな助けとなるはずです。 もしこれから受験勉強を進めていく中で、『蜻蛉日記』に出会うことがあったら、夫婦の愛情に恵まれなかった悲運の才女、藤原道綱母のことを少し思い出してあげてください。
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因みに、「そもそも武田塾太田校ってどんな塾なの?」という疑問をお持ちの方は、こちらの記事を読んでいただけると幸いです。
参考記事:武田塾太田校とはどんなところなのでしょうか? ~校舎紹介~
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