みなさん、こんにちは!
武田塾折尾校です。
今回のテーマは
「東南アジアの歴史」
と題し、タイに焦点をあてて、
まとめました!
ベトナム・カンボジア・インドネシアについては
「東南アジアの歴史その①」にまとめてありますので
ご覧ください!
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東南アジアの歴史について
東南アジアで押さえるべきポイント
東南アジアは、古くから
他の文明・文化と交流が
盛んでした。
その理由は主に
①海や河川に面している地域が多い
②香辛料などの交易資源が豊富
といったことが挙げられます。
(東南アジアの地図 - 外務省HPより)
他の地域とのつながりは
東南アジア諸国に大きな影響を与え、
それを基に独自の文化が開花しました。
それでは、どのような
文化が形成されていったかを
見てみましょう。
タイの歴史
旧石器時代~新石器時代
現在のタイとなる土地では
旧石器時代から
ヒトが住み始めており、
世界史上でも早い時期から
文明が発達していました。
新石器時代になると
狩猟文明から
農耕文明に様変わりし、
当時の痕跡は
遺跡として現在も残っています。
↓
ドヴァーラヴァティー王国
6世紀後半ごろには
モン族によって、
ドヴァーラヴァティー王国(6世紀~11世紀ごろ)が
建てられます。
(ドヴァーラヴァティー王国の位置- Emmanuel de Chambost (France) - wikipediaより, パブリック・ドメイン,)
大規模な環濠集落を基に発展し、
その周辺には、スリランカから伝わった
上座部仏教様式の仏像や仏塔が
置かれていたようです。
しかし、9世紀以降はカンボジアの
アンコール朝の侵略によって衰退し、
13世紀初頭までは
アンコール朝の
支配下におかれてしまいます。
スコータイ朝
13世紀半ばごろにアンコール朝の
ジャヤーヴァルマン7世の死去によって
王朝の支配が弱まると、
タイ族による初の王朝である
スコータイ朝(13世紀半ば~15世紀)が
建てられます。
ちなみに「スコータイ」は、
「幸福の夜明け」という意味です。
アンコール朝の支配から逃れた時の
気持ちがよく分かりますね。
スコータイ朝でも上座部仏教が信仰され、
数多くの寺院が建設されました。
(スコータイ朝時代の寺院 - パブリック・ドメイン, wikipediaより)
また、アンコール朝で使われていた
クメール文字を基に
タイ文字も開発され、
タイ文化の基礎を築きました。
(タイ文字のサンプル - Ichwan Palongengi - パブリック・ドメイン, wikipediaより)
スコータイ朝が誕生したころは、
ちょうど中国の元朝が
アジア一帯への支配を強めていた
時期でもありました。
東南アジアの諸王朝が
元朝の侵攻を受けていた中、
スコータイ朝は
元との朝貢関係を結ぶことで
平和的に王朝を維持しました。
アユタヤ朝
14世紀半ばごろになると、
現在のタイの中央部に
アユタヤ朝(1351年~1767年)という
新たなタイ族王朝が誕生します。
アユタヤ朝は陸路や河川を用いた
物資交易で栄え、国の公式宗教として
上座部仏教を採用しました。
(アユタヤ王宮, パブリック・ドメイン, wikipediaより)
東南アジアの中では
特に強い勢力として支配領域を拡げ、
1431年にアンコール朝を武力で滅ぼし、
同時期にスコータイ朝を平和的に吸収します。
16世紀になると、東南アジアに
ヨーロッパ諸国勢力が押し寄せてきます。
大航海時代の到来です。
(復元された15世紀の船 - Navy of Brazil, Attribution, wikipediaより)
1511年にはポルトガルからの使節が
アユタヤ朝に訪れました。
アユタヤ朝はポルトガルに対して、
領土内での通商許可を与え、
交易ネットワークを更に拡大させました。
人とモノの交流が活発になり、
ますます栄えていくかに見えたアユタヤ朝でしたが、
この頃勢力を強めていたタウングー朝
からの侵攻を受けるようになります。
タウングー朝は現在のミャンマーに
建てられた王朝です。
(アユタヤ朝に侵攻したタウングー朝の王バインナウン - Phyo WP, CC 表示-継承 3.0, wikipediaより)
両王朝は何度も争いを行いますが、
結果としてアユタヤ朝は敗北、
タウングー朝の属国とされてしまいます。
タウングー朝へのリベンジを目指す
アユタヤ朝は、軍事の強化を図ります。
この中で生まれたのが
格闘技として有名な
ムエタイです。
(ムエタイの練習風景 - Kru Tony Moore - , CC 表示-継承 4.0, wikipediaより)
タウングー朝支配の下で、
力をつけたアユタヤ朝は
独立のために挙兵し、
そして1584年に独立を勝ち取ります。
その後は交易も再開し、
オランダやイギリス、フランスといった
ヨーロッパ諸国、
誕生間もない江戸幕府、
中国の明朝と
新たに通商関係を結びます。
アユタヤで日本人傭兵として
活躍した山田長政が
アユタヤに訪れたのも
この頃です。
(山田長政の肖像画 - Tokyo National Museum, パブリック・ドメイン, wikipediaより)
ヨーロッパとアジアを結ぶ
大規模交易の一大拠点として栄えた
アユタヤ朝でしたが、
1767年に
ミャンマーの新王朝、
コンバウン朝によって
攻め滅ぼされてしまいます。
ラタナコーシン朝
アユタヤ朝の滅亡後は、
トンブリー朝という
わずか15年間の短期政権を経て、
1782年にラタナコーシン朝(チャクリー朝)
として生まれ変わります。
ラタナコーシン朝の誕生以後、
東南アジア諸国は次々と
植民地化されてしまいますが、
ラタナコーシン朝はその体制を保ち、
東南アジアの中で唯一、
独立を保った王朝として存在しました。
2022年現在のタイの王朝も
ラタナコーシン朝です。
(タイの現国王 ラーマ10世 - The Public Relations Department (กรมประชาสัมพันธ์) - , CC BY 3.0 th, wikipediaより)
まとめ!
ここまで「タイの歴史」
についてお話ししてきました!
ここでおさらいをしましょう!
・タイの歴代王朝(受験用に簡単にしてあります)
ドヴァーラヴァティー王国
(6世紀~11世紀)
↓
スコータイ朝
(1238年~1448年)
↓
アユタヤ朝
(1351年~1767年)
↓
ラタナコーシン朝
(1782年~現在)
・ラタナコーシン朝は東南アジアで
唯一独立を保った王朝
・タイではずっと上座部仏教を信仰
・タイは交易が盛ん
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