みなさん、こんにちは!
武田塾折尾校です。
今回のテーマは
「東南アジアの歴史」
と題し、
カンボジア・インドネシア・ベトナム
に焦点をあてて、まとめました!
センター試験でも出題された範囲なので、
しっかり復習しておきましょう!
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東南アジアの歴史について
東南アジアで押さえるべきポイント
東南アジアは、古くから
他の文明・文化と交流が
盛んでした。
その理由は主に
①海や河川に面している地域が多い
②香辛料などの交易資源が豊富
といったことが挙げられます。
(東南アジアの地図 - 外務省HPより)
他の地域とのつながりは
東南アジア諸国に大きな影響を与え、
それを基に独自の文化が開花しました。
それでは、どのような
文化が形成されていったかを
見てみましょう。
カンボジア
まずはカンボジアです。
紀元前から
インドや中国と盛んに
交流をしていたこの地域では、
東南アジア最古の国家である
扶南(1世紀~7世紀ごろ)が建国されました。
今のメコン川下流域にあたる地域です。
(扶南の場所 - Emmanuel de Chambost (France) , パブリック・ドメイン,Wikipediaより)
インドから渡来したお坊さんが
先住民と共に作ったとされる国で、
主要都市だったオケオからは
インドや中国、さらには古代ローマから
伝来したと見られるものが多数出土しています。
(オケオで出土したヴィシュヌ神の像 - Gary Todd from Xinzheng, China - Oc-Eo Culture, CC0, Wikipediaより)
海洋交易が盛んな国でしたが、
やがて、メコン川中流域で台頭した
真臘(550年~802年)という国に圧迫され、
衰退してしまいます。
この真臘も分裂することになるのですが、
これを統一して誕生したのが
アンコール朝(802年~1431年)です。
クメール人の王朝なので
クメール朝とも呼ばれます。
当初はヒンドゥー教の王朝で、
12世紀に建設された
アンコール=ワットも
ヒンドゥー寺院として使われていました。
しかし、タイから上座部仏教が伝来した後は、
上座部仏教の寺院として使われるように
なりました。
(アンコールワット - Bjørn Christian Tørrissen - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, Wikipediaより)
当時の世界ではトップクラスの
人口を誇る国力をもった
王朝でしたが、
1431年にタイのアユタヤ朝に
征服されてしまいます。
インドネシア
インドネシアでは
スマトラ島とジャワ島で
異なる国が存在していました。
スマトラ島では、7世紀ごろに
扶南から移った一派が
シュリーヴィジャヤ王国を建国しました。
(650年~1377年)
漢字では、
「室利仏逝」と書きます。
扶南が倒れた後は、
海洋交易の一大拠点として栄え、
唐からナーランダー僧院に向かう途中の
義浄が立ち寄るなど、
人や交易品が盛んに行き交う港市国家
でした。
(義浄 - User:L joo - http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Yi_Jing.JPG, パブリック・ドメイン, Wikipediaより)
義浄の著作である
『南海寄帰内法伝』にも
この王国の記述があります。
一方のジャワ島では、
シュリーヴィジャヤ王国と同時期に
シャイレンドラ朝(7世紀~14世紀)と
古マタラム王国(752年~1045年)がありました。
どちらもジャワ島中部に存在した国です。
シャイレンドラ朝は仏教国で、
有名な仏教寺院である、
「ボロブドゥール」がありました。
(ボロブドゥール遺跡 - Dimas.yusuf から en.wikipedia.org, CC 表示-継承 3.0, Wikipediaより)
古マタラム王国はヒンドゥー教国で、
世界遺産に登録されている
「プランバナン寺院群」は
この国の時に建設されました。
(プランバナン寺院群 - Gunawan Kartapranata - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Wikipediaより)
宗教は違えども、
仲は良かったらしく、
プランバナン寺院群は
両国の協力のもとに建設されたそうです。
その後、火山の噴火により
両国ともジャワ島の東部に移動するのですが、
ヒンドゥー教の勢力の方が強くなり、
ジャワ島は16世紀までヒンドゥー教が
中心の地域となります。
ヒンドゥー王朝も誕生し、
939年にクディリ朝が、
1222年にシンガサリ朝が誕生しました。
元のジャワ島侵攻に立ち向かった
マジャパヒト王国は
ジャワ島最後のヒンドゥー教王朝です。
マジャパヒト王国が16世紀に衰退した後は、
イスラームが中心となり、
インドネシアは2021年現在、
世界で最もムスリムの人口が多い国
となっています。
ベトナム
東南アジアの中では
最も早く文化が始まった地域の1つであり、
紀元前2000年ごろには
青銅器の製作が行われていました。
紀元前4世紀ごろには
金属器文化である、
「ドンソン文化」や
「サフィン文化」が発展します。
(ドンソン文化の「銅鼓」 - パブリック・ドメイン, Wikipediaより)
ドンソン文化は北部で、
サフィン文化は中南部の文化です。
その後の発展も
北部と南部で分かれます。
北部の方は
地理的に中国に近かったため
前漢~唐の各王朝の
支配下に置かれます。
遣唐使の1人である、
阿倍仲麻呂が訪れた安南都護府は
唐の時代のベトナム北部の
呼び名です。
その後、10世紀ごろに
北宋から独立を許され、
呉朝・丁朝・前黎朝といった
独立王朝が誕生します。
11世紀の初めごろには
本格的な国家である、
李朝大越国(1009年~1225年)が建国されます。
長らく中国王朝の支配下にあったため、
政治体制や文化も中国の影響を受け、
科挙による人材登用や
儒教・仏教が普及しました。
(ベトナムの仏教寺院 - Lưu Ly - 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0,Wikipediaより)
13世紀に
李朝の後を継いで誕生した
陳朝大越国(1225年~1400年)は
元による3度の侵攻を防ぎ、
対外的に国家としての形を
アピールしました。
ベトナム語を表記するための文字、
チュノム(字喃)が開発されたのも
陳朝の時代です。
(「私はベトナム語を話します」という意味のチュノム - 麗春 - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, Wikipediaより)
一方の南部では、2世紀ごろに
チャンパー王国が誕生し、
なんと15世紀ごろまで存在しました。
(チャンパー王国の場所 - Wikipediaより)
このチャンパー王国、
中国の史料の中では
時代によって呼び名が異なります。
(林邑、占城など)
北部は中国の影響を受けたのに対し、
チャンパー王国はインドの影響を
強く受けたため、ヒンドゥー教が
普及していきます。
南シナ海に面していたことから
カンボジアやインドネシアと同じく、
海洋交易の拠点として栄えました。
1283年には
チャンパー王国にもやってきた
元を撃退しています。
しかし、1470年に
北部の陳朝の後に誕生した
後黎朝との戦争に負けて、
チャンパー王国は征服されます。
一旦は南北共に
後黎朝の領土となりますが、
16世紀末に再び
南北で分裂します。
1778年に西山の乱で
南北の勢力がまとめて倒され
西山朝(1778年~1802年)が誕生します。
(西山朝の創始者である阮3兄弟 - Ba_anh_em_nhà_họ_Nhạc.JPG: , CC 表示-継承 3.0, Wikipediaより)
しかし、今度は
南部の生き残りの
阮福暎によって
西山朝が倒されます。
(阮福暎 - http://baodatviet.vn/van-hoa/nguoi-viet/chuyen-xau-ho-cua-vua-gia-long-2232787/, パブリック・ドメイン,
Wikipediaより)
そして阮福暎改め嘉隆帝によって
ベトナム初の南北統一王朝である
阮朝(1802年~1945年)が誕生します。
ちなみに、
この阮朝の時に初めて
「越南(ベトナム)」という国号が
使われ始めました。
まとめ!
ここまで「東南アジアの歴史」
についてお話ししてきました!
ここでおさらいをしましょう!
・東南アジアは貿易が盛んな地域!
・インドや中国に大きな影響を受けた!
【カンボジア】
扶南→真臘→アンコール朝
【インドネシア】
スマトラ島:シュリーヴィジャヤ王国
ジャワ島:シャイレンドラ朝・古マタラム朝→
クディリ朝→シンガサリ朝→
マジャパヒト王国
【ベトナム】
北部:前漢~唐による支配→呉朝・丁朝・前黎朝→
李朝→陳朝→後黎朝→西山朝→阮朝
南部:チャンパー王国→後黎朝→西山朝→阮朝
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