みなさん、こんにちは!
武田塾折尾校です。
今回のテーマは
「英仏百年戦争」
です!
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英仏百年戦争について
英仏百年戦争は何が原因だったの?
英仏百年戦争といえば、
1339年~1453年の間に、
イングランド(プランタジネット朝)と
フランス(ヴァロワ朝)が争った戦争です。
「百年戦争」の文字通り、
114年もの間、戦争状態にあったのですが、
その原因を見ていきましょう。
①フランスの王位継承権の問題
百年戦争開戦の理由の1つが
「フランス王位継承権」です。
百年戦争の開戦前、
フランスはカペー朝という
王朝でした。
作った人が
ユーグ=カペー(940年~996年)
なので、カペー朝です。
(ユーグ=カペー - シャルル・ド・スチューベン - photo.rmn.fr, パブリック・ドメイン, wikipediaより)
しかし、1328年にカペー朝は
後継者不足により
断絶してしまいます。
そこで、カペー朝の血を引く
ヴァロワ家のフィリップ6世が
フランス王位に就き、
「ヴァロワ朝」を創始します。
(フィリップ6世 - 不明 - Jean-Marie Perouse de Montclos : Paris - Kunstmetropole und Kulturstadt,
Ullmann/Tandem 2008., パブリック・ドメイン, wikipediaより)
しかし、ここで待ったをかけたのが
イングランド王家でした。
なぜここで待ったをかけられたかというと、
当時のイングランド王である
エドワード3世も、カペー朝の
血を引いた人物だったからです。
(お母さんがカペー朝の人)
(エドワード3世- Couverture d'une biographie, パブリック・ドメイン, wikipediaより)
結局、この主張はフランス諸侯の
同意を得ることができなかったために
認められませんでしたが、
英仏間に対立関係を生むこととなります。
②領土問題
百年戦争開戦のもう一つの理由が
「領土問題」です。
当時、イングランドは
ギュイエンヌ(アキテーヌ)という土地に
領土を持っていました。
今のフランス南西部、スペインとの
国境付近になります。
この土地はイングランドが先祖代々、
保有し続けてきた土地でしたが、
フランス側としては面白くないですよね。
たびたび圧力をかけて、フランスの
権威を示そうとしました。
イングランド側も当然反発し、
対立の溝は深まるばかりでした。
また、毛織物産業で有名な
フランドル地方を巡る争いも
ありました。
今のベルギー北部の土地です。
イングランドは毛織物の原料である、
羊毛をこの地に輸出することで
利益を得ていましたが、
フランスもこの地を支配下に
置こうとしたために
争いとなりました。
ちなみに、
このフランドル地方は
オランダ独立戦争(1556年~1600年ごろ)や
三十年戦争(1618年~1648年)でも
争いの舞台となります。
戦争の遷移
①イングランド優勢期(1339年~1422年)
英仏間で緊張が高まった結果、
1339年に開戦となりました。
戦争の序盤から中盤にかけては
イングランド側の優勢でした。
両軍の多くが参加した
1346年のクレシーの戦いや
1356年のポワティエの戦いでは
エドワード黒太子の活躍により
イングランドが勝利し、
フランス南西部はイングランドの
支配下に置かれます。
エドワード黒太子は国王エドワード3世の長男で、
黒の甲冑を身に付けていたので、こう呼ばれます。
(ポワティエの戦い - Master of the Vienna Chronique d'Angleterre -
Chroniques d'Angleterre. Bibliothèque Nationale de France, パブリック・ドメイン, Wikipediaより)
(エドワード黒太子 - Illustration from Cassell's History of England - Century EditionScan by TagishsimonUploaded by Tagishsimon to w:Image:Edward the Black Prince - Illustration from Cassell's History of England - Century Edition - published circa 1902.jpg, パブリック・ドメイン, Wikipediaより)
また、この当時は
ペストの大流行の時期でもあり
両軍に多大な損害を与えました。
ちなみに、この戦いの間に
フランス国内では
ジャックリーの乱が、
(ジャックリーの乱 - ロイゼ・リデ - This file comes from Gallica Digital Library and is available under the digital ID btv1b84386043/f476,
パブリック・ドメイン,Wikipediaより)
イングランド国内では
ワット=タイラーの乱といった
農民による反乱が
起こっています。
(ワット=タイラーの乱 - ジャン・フロワサール - Bibliothèque nationale de France, パブリック・ドメイン,Wikipediaより)
②フランス優勢期(1422年~1453年)
前~中盤にかけて
フランスはイングランドに圧倒され、
フランス王位は一時
イングランドのものとなります。
フランス全土を手に入れたい
イングランド側は、
抵抗勢力の本拠地である
オルレアンを攻撃し、
戦争を終わらせようと考えました。
しかし、イングランド側にとって
大きな誤算が生じます。
イングランドが
圧倒的優位だったにも関わらず、
フランスのとある人物の活躍により
大敗北を喫してしまいます。
この人物こそ、かの有名な
ジャンヌ=ダルクです。
(ジャンヌ=ダルク - パブリック・ドメイン, Wikipediaより)
オルレアンでの戦いに勝利したことで
フランス軍は勢いに火が付き、
連戦連勝を重ねます。
一時は奪われていたフランス王位も
取り戻し、ついにはイングランド軍を
フランスの地から撤退させるまでに至ります。
そして、1453年に
百年戦争は
フランス側の勝利で終結します。
百年戦争後のイングランド
戦争に敗北したイングランドは
敗戦の混乱と王位継承権争いから
内乱状態になってしまいます。
この内乱では、
有力貴族である
「ランカスター家」と「ヨーク家」が
争いました。
ランカスター家は赤いバラを
ヨーク家は白いバラを
シンボルにしていたので、
「バラ戦争」と呼ばれます。
(バラ戦争(バーネットの戦い) - File:Battle of barnet.jpg, Ghent manuscript, a late 15th-century document (source: Ghent University library, MS236),
パブリック・ドメイン, Wikipediaより)
この内乱では、
ランカスター家が勝利を収め、
ヨーク家と婚姻関係を結ぶことで和解し、
新たに「テューダー朝」が開かれることと
なります。
ちなみに、
テューダー朝のシンボルは
赤いバラと白いバラを合わせた
「テューダーローズ」と言います。
百年戦争後のフランス
戦争には勝利したフランスでしたが、
国土の大半が荒廃し、
財政状況は最悪の状態でした。
そこで当時のフランス国王、
シャルル7世と
その息子のルイ11世は
商人との協力体制の構築によって、
財政の再建を目指しました。
( シャルル7世- ジャン・フーケ, パブリック・ドメイン, Wikipediaより)
また、
官僚制の整備や
フランス王国常備軍の設立にも
着手しました。
これらの動きにより、フランスは
強力な王権による、
中央集権制国家となっていきます。
まとめ!
ここまで「英仏百年戦争」
についてお話ししてきました!
ここでおさらいをしましょう!
・百年戦争のきっかけは王位と領土
・序盤から中盤まではイングランド優勢
・最終的にはフランスの勝利
・戦後のイングランドは内乱→テューダー朝の誕生
・戦後のフランスは国家の再建→中央集権化
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