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関東大震災はいつ来たの?2023年9月で…。【大泉学園駅の塾・予備校】

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関東大震災の概要

日時:1923(大正12)年9月1日 午前11:58分

震源地:相模湾北部

マグニチュード:7.9

地震の型:海溝型地震

 

地震の様子

1923年9月1日、相模湾北部を震源とするマグニチュード7.9の地震が発生しました。

この地震は海溝型地震とされています。

日本列島は、四つのプレートのちょうど境界に位置しています。関東北部~北海道にかけての北米プレート、関東西部~沖縄にかけてのユーラシアプレート、そして、ほとんど陸地はありませんが、太平洋プレート、フィリピン海プレートです。このうち、北米プレート、ユーラシアプレートは大陸プレートであり、残りの二つは海洋プレートです。大陸プレートと海洋プレートが衝突した場合、質量の大きい海洋プレートが大陸プレートの下へ下へともぐりこむように進んでいきます。この時、海洋プレートと接触している大陸プレートの境界面も一緒になって地中深くへと引きずり込まれていきます。そして大陸プレートのひずみが大きくなり、これ以上耐えられなくなった時、大陸プレートの境界面が一気にひずみを解消するために持ち上がるのです。これが結果として地震を引き起こします。このタイプの地震を海溝型地震と言います。

当時、日本は大正時代で、まだ建物などはすべて木造でした。そのため、耐震性に優れておらず、マグニチュード7.9という大規模な地震には耐えられず、多くが倒壊してしまい、結果としてたくさんの人の命が失われてしまいました。内閣府の関東大震災報告書によると、この地震による死者数は10万人を超えています。

さらに、関東大震災の特徴として挙げられるのが、火災です。先述の通り、当時の建物は木造で、地震によってその多くが倒壊してしまいました。当然、木造住宅は火災に弱いため、地震発生後まもなく、各地で火の手が上がりました。火災による死者数は全体の9割近くを占めています。

 

関東大震災と在日朝鮮人

子の関東大震災に関して、注目すべきは地震による直接的な被害のみにはとどまりません。

実は震災直後より、在日朝鮮人を狙ったデマが急速に拡大したのです。

内容は「朝鮮人が井戸へ毒を投げ込んだり、放火・殺人・強姦をしている」というものでした。事実とは反する内容であったにも関わらず、警察が警戒を呼び掛けたために、人々はこのデマを信じ込んでしまいました。各地で自警団が組織され、罪のない朝鮮人が公然と暴行を受け殺害されました。殺害された朝鮮人は6,000人にも上るとされていますが、このうち刑事責任を問われたものはほんの一握りであり、政府もこの一連の事件を黙殺しました。朝鮮人への差別意識が生んだ不幸な出来事と言えます。

いまわれわれにできることは、そういった事実があったということを認め、同じことを繰り返さないと心に刻むことです。

 

日本史受験生が覚えるべきこと!

関東大震災は入試問題としても頻出テーマです。

日本史で受験する受験生が覚えておくべきことをまとめましたのでご参照ください。

 

1923(大正12年)9月1日 関東大震災

まずは基本事項として関東大震災の日付を覚えましょう。

 

支払い猶予令(モラトリアム)

関東大震災の発生を受けて、

政府は、震災地に限定して支払い猶予令(モラトリアム)を出しました。

これは、震災によって支払いが困難になった銀行に対して、

一時的に支払い義務を停止するものです。経済の混乱を防ぐ目的でした。

 

戒厳令

関東大震災の混乱を鎮めるために出されました。

警察・軍隊が動員され、事態の収拾にあたりました。

 

政権交代

関東大震災の混乱の中、

当時の総理大臣であった加藤友三郎がなくなりました。

代わりに第二次山本権兵衛内閣が組閣しました。

 

震災恐慌

震災後には恐慌が起こりました。名前はそのまま震災恐慌

その結果支払い能力を失った手形を震災手形と言います。

 

殺害事件

諸々の殺害事件も発生しました。覚えておくべきは、

自警団による関東各地での「朝鮮人狩り」。

無政府主義者の大杉栄・伊藤野枝が殺害された「甘粕事件」。

殺害したのは憲兵大尉の甘粕正彦

・労働運動家が殺された「亀戸事件」。

 

2023年9月でちょうど100年

およそ2年後の2023年9月に関東大震災から100年が経過します。

なくなられた方々へ黙とうをささげ、

そしてまた、近いうちに起こると言われている首都直下地震に備えて、

もう一度防災意識を強く持ちましょう。

 

天災は忘れたころにやってくると言いますからね。

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武田塾大泉学園校 卒業生の声

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Q

武田塾に入ってから勉強法や成績がどのように変わりましたか?

 

 

A

☆決められた期間内に決められた参考書を決められた学習方法でこなすだけで、

自然と成績は伸びていきました。

 

 

☆多くのものに手を付けずひとつひとつの参考書を徹底的に取り組むようになったことで、

自分にとって何ができないのかを可視化することができるようになった。

 

 

☆困ったり悩んだりしたときは、

その都度先生に進捗状況を話してやり方を提供してもらったりして、

ただやり続けるという習慣を変えられたと思います。

 

 

☆参考書を今まで全部やったことがなかったけど、何週もすることで

こんなにもちゃんと試験で使えるようになるんだと実感しました。

 

 

☆一週間のうちにやったことを一回だけでなく二回、

三回と復習してまたさらに確認テストでも復習することが出来た。

その結果やった問題がテストで出たらしっかりと得点していくことが出来るようになった。

 

 

☆現役の時に中途半端だった基礎を理解したうえで

人に説明できるくらいまで自分のモノにすることがを意識しました。

そうすると、

過去問などの問題に対するアプローチが増え、

成績もどんどん上がっていきました。

そして本番には余裕をもって望むことができ、余裕をもって合格することが出来ました。

 

 

☆勉強しない日が減りました。

 

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☆ほとんど勉強しなかった私が、計画的、効率的に勉強するようになりました。

それは週一回確認テストがあり誤魔化すことができなかったからです。

そのテストで8割以上の点数が取れないと先へ進めないことは、

私にとっていい意味でプレッシャーとなり、

モチベーションが下がった時期でも勉強を続けることが出来ました。

 

 

☆4日進み2日復習、最後の1日は塾に行き、

テストをして先生にみていただくという流れが基本で、

これを続けた結果、

6月の英語の模試が40点台だった成績が9月のは60点台、

11月には80点台と15~20点ずつ上がり、

偏差値も10~15程度上がりました。

 

 

☆英単語の覚え方を武田塾のオススメの方法に変えたら

すさまじく語彙力がつき、

先生に呼び出されるレベルから

最終的に学校の語彙テストの優秀者ランキングに載れるくらいになった。

 

 

☆毎日勉強する習慣がつきました。

 

 

☆時間管理が少しずつですができるようになりました。

思い立ったら勉強するの連続でしたが、

前もって勉強する時間帯をきめて効率的にできることが多くなりました。

 

 

☆勉強法はとにかくひたすら復習でした。

武田塾は毎日、

一日の勉強内容がはっきりと指定されているので、

何から手を付けたらよいのか等、

迷うことがなく勉強に集中できました。

一週間で何度も何度も同じページの復習をすることで、

自分の力へとつながったと思います。

 

 

☆成績はもちろんすぐ簡単に結果は見えてきませんでしたが、

だいたい秋くらいに、

本当にV字のように成績に変化がありました。

 

 

☆武田塾にはいってからは一日にしなければいけない

ノルマを決めてもらえるので

それ以前のようにダラダラ過ごす時間が少なくなりました。

また毎週テストをしてもらえるので、

自分がどれくらいできるようになったのかがわかりやすく、

自分の弱点やどこが抜けているのかなども都度確認できました。

 

 

☆英語が一気に得意科目になりました。

 

 

☆勉強法も常に同じではなく、

講師方と相談して、

自分の間違った勉強法にならないように

アドバイスをたくさんもらいました。

自学自習の癖をつけることができました。

 

 

☆参考書で中途半端に終わらせることがなくなり、

実力が着実についているのが実感できました。

 

 

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