塾生の声

野球部と両立して早稲田国際教養合格!【2025合格体験記】

こんにちは!武田塾武蔵小杉校の三浦です。2025年度合格体験記第一弾をお送りします!

 

今回ご紹介させてもらうのは、野球部と両立して早稲田大学国際教養学部に進学する木村将人くんです。

なんといっても、部活との両立に悩む受験生全員に見て欲しい記事です。1日3時間の勉強時間しか取れなくても、自分に合った勉強方法を意識して勉強すれば、しっかりと成果が出せるんだってことを知って欲しいです。毎年毎年、生徒から学べることが多いなと、いつも感慨深いのですが、木村くんは本当にいろんなことを工夫して頑張ってくれていたので、この記事を読んでくれている皆さんも、いっぱい吸収をして欲しいです。

そして、読んでみると分かるのですが、何よりも逆境をチャンスに変えていく挑戦的なマインドセットこそ、木村くんのすごさなので、全受験生に勇気をくれる記事になっていると思います。木村くんは武蔵小杉校で講師もやってくれることになっているので、心強いですね。パワフルな彼に励ましてもらいたい人は、ぜひ声を掛けてあげてください!

 

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木村将人さん(國學院高校卒)

早稲田大学国際教養学部 合格!
早稲田大学文化構想学部 合格!
明治大学国際日本学部 合格!
立教大学 異文化コミュニケーション学部 合格!

 

逆転合格を成し遂げたときの気持ち

ー合格おめでとうございます!合格発表を見たときはどんな気持ちだった?

 

木村 最初に早稲田大学の文化構想学部の発表があったんです。文化構想学部は本番で過去最高の出来だったんです。だから、とりあえず文化構想に落ちたら早稲田全落ちかもしれないと思っていたんですけど、そこで受かっていてホッと安心しました。その翌日に、第志望の国際教養の発表だったんです。まず、国際教養学部は共通テストで国社の点数が半分あって、残り半分が外検と英語の筆記試験なんですけど、僕は共通テストが終わって7点くらいビハインドがあったんです。だから、当日の早稲田の80点満点の試験で約1割を巻き返さなければならなかった。かなり不安ではあったんですけど、共通テストがビハインドでもちゃんと結果が出るのがとても嬉しかったです。

 

ーそうだね。これくらいの点数は逆転できるってことが分かって、感動した。みんなに勇気を与えられると思う。今日はそんな木村くんの歩みを振り返ろうと思います。よろしくお願いします。

友達を見返したくて受験勉強をはじめました

ーなんで早稲田大学を目指したの?

 

木村 とりあえず友達を見返すことが原動力にあったんです。受験勉強をはじめたのは、高校年生の月からなんですけど、英検準2級を取れなくて友達から馬鹿にされて悔しかったので、武田塾を調べてYoutubeの動画を参考に勉強を始めました。それで目指すなら、やっぱり早慶でしょって思って、慶應は近くにあったけど雰囲気に個人的な苦手意識があって、早稲田の方が自分は熱を感じて、学部は決めていないけど、早稲田を目指すことにしました。

国際教養志望になったのは、高校年生のです。英会話の先生と英検の面接で話すようになって、英語が話せるようになる感覚を少し掴めて、大学に通ったら英語をやるために早稲田国際教養に行こうと思いました。これからは楽しんで勉強できます。

 

ーそのときはどんな成績だったの?

 

木村 高校年生の6月が偏差値49で、10月までに『英単語ターゲット1900』を完璧にして、『英文法ポラリス1』を終えて、『英文解釈の技術70』をはじめていました。そうしたら、模試の偏差値はベネッセで66くらいまで伸びたんです。勉強をはじめたばかりのときは、すぐに成績が伸びて楽しかったです。

 

ーすごい!それまでの自分ってどうだったの?

 

木村 勉強は苦手ではないけど、英語は全然できないし、国語も苦手で、歴史だけ好きでした。読解力が根本的になかったです。高校は推薦で入ったので、受験は初の経験だったんです。

 

ーそこから高校入ってすぐ受験勉強をはじめるのに、勇気はいらなかった?

 

木村 勝負ごとは昔からやっていたんで。同じ感じだなって思っていました。はじめたときも、最初から早稲田を目指すってはじめたわけじゃなくて、単語とかの勉強をして、定期的な小テストとかを頑張っているだけで、いつの間にか気づいていたらやっていた感じではあります。

 

ー武田塾に来ようと思ったきっかけは?

 

木村 Youtubeを見て高校年生の10月に来ました。受験相談のときは2時間くらい掛けて単語帳の覚え方とかをいろいろ教えてくれて、当時校舎長だった青山さんがすごいなって思って、ここに来ようって思いました。

 

部活があったから合格できた!

 

ー木村くんの場合は、野球部との両立が大変だったよね。難しくなかった?

 

木村 どっちも100%でやりたいと思っていて、やろうと思ったら出来ると思います。正直、学校生活と受験勉強は同じだし、隙間時間なんて作ろうと思えばいくらでも作れるし、授業中とか部活が終わってからとか時間は勉強時間を確保できていました。学校の授業時間は勉強時間でしたね。ここは有益だなと思ったら聞くし、必要ないと思ったら内職をして使い分けていたので、授業を軽視していたわけじゃないです。

 

ー部活をやりながらだとそうやって時間を作るしかないと思うんだけど、毎日3時間はすごいよね。

 

木村 むしろ隙間時間だから勉強ができたんだと思っています。僕は部活をやっていないと早稲田に受かっていなかったんじゃないかって思います。人間は時間があるとダラダラやってしまうと思うんです。本来は50分で終わることを90分でやったりしてしまう。だから、出来るだけ早く終わらせようと思って頑張っていました。

ー1日の勉強スケジュールってどんな感じだったの?

 

木村 部活の朝練はなかったけど、起きて直ぐに家を出て、電車の中で勉強をして、体調が良かったら早く学校に行って勉強していました。部活をやっていると疲れて頭が回らないので、本当にリフレッシュして勉強できるのはそこくらいだったんです。基本的に電車の中では『ターゲット1900』をやって、授業中は解釈、電車で『ターゲット1900』、18時半に塾に来て、9時くらいに帰ってました。ただし、部活帰りは寝ちゃうので、実質2時間は塾で勉強して帰る生活でした。塾に来てからか、朝に1番集中しなければいけない長文をやっていました。部活ない日はほとんどなかったので、年生のに引退するまでずっとこんな感じで勉強していました。

 

ーなんで授業中は解釈だったの?

 

木村 授業中に単語はうるさいので集中が出来なくて、でも授業中は頭を使えるので、それがいいんですけど、長文はさすがに時間配分が大事だから、授業中にやるのはきついので無理でした。基本的に『入門英文解釈の技術70』と『英文熟考』をやっていました。

 

ーなるほど。そうやってコツコツ伸ばしていった感じなんだね。でも、英検準一級を取るのは、早かったよね?

 

木村 級を合格したのが高月で、高2の5月に100点差くらいで準1級を落ちて、10月にプラス100点くらいで受かりました。その間にめっちゃ伸びました。日大の段階突破テストに合格したのが7月で、8月からMARCHの段階突破テストを何回も受けて苦戦していました。普通に文章を読むことが苦手だったので、長文を読む感覚が分からなかったんです。MARCHの問題は文章がめっちゃ難しいわけじゃないはずなのに、なんか設問で落としてしまうって感じでした。なんとか、慣れてきて9月の22日にMARCHの段階突破をしています。その流れで今までの下積みが一気に繋がって10月の英検で、準級にも合格できました。

 

ーなるほどね。やっぱりMARCHの過去問で点が取れることよりも、ちょっと英検準1級の方が難しいんじゃないかって思うんだよね。

 

木村 でも、実際はこのときの実力はMARCH合格レベルには届いていなかったと思います。準1級はあくまで総合力なので、MARCHの過去問と同じではないです。英検はリーディングが少なくて、語彙とリスニング、ライティングで稼いで受かっただけなんですよね。

 

ーそうなんだ。英検は、割とリーディングで稼ぐ派と、リスニングやライティングで稼ぐ派に分かれるよね。木村くんは後者だったんだ。逆に、木村くんがMARCHの過去問を解けるようになったと感じたのはいつ?

 

木村 高校年生の夏休みくらいです。準一級は持っていたのに、高2の1月の河合記述模試の偏差値は58でびっくりしたんですよね。そのときから早慶の過去問はやっていましたけど、正直全然できていなかったんです。ようやく、高校3年生5月の河合塾模試で偏差値64、夏の終わりの2回目で偏差値71に行きました。だから、この間で成長したって感じです。けっこう時間がかかりました。ちなみに、国語の偏差値はそのとき49でした。それでヤバいなって思って頑張って対策して、最終的に第3回の記述模試で国語が66、英語が70、世界史80になりました。

 

ーすごいね。最終的に、これは早稲田全然行けるぞってところまで上り詰めたけど、思ったよりも時間がかかって紆余曲折あったってことが大事だよね。

 

一度覚えたら忘れない世界史の勉強方法

 

ー英語以外の科目は、どうやって対策をしたの?

 

木村 実は、一番国語が苦手で、それが早稲田では一番足を引っ張るなと分かっていたんですけど、先に世界史を徹底的に対策しました。正直なところ、部活で疲れてから国語をやるのは無理だったので、先に世界史をやったのが結果的によかったと思っています。国語の対策を本気で出来たのも、9月からだったと思います。部活が終わってから国語をガチでやらないといけなかったのに、真剣に向き合えなくて、そこまでは英語と世界史を極めることに費やしていました。だから、9月から1ヶ月は世界史をやらずに国語に全振りして、国語ばっかりを対策していました。

 

ーめっちゃ極端だね。でも、9月から1ヶ月やらなかったら、普通、忘れてしまってなまると思うんだけど、それが無かったのはメチャクチャすごいと思う。具体的にどういう勉強だったの?

 

木村 それは一番意識していたことですね。どんなに頭が良くても忘れたら意味がないんですよ。そのためには、因果関係とゴロ、それから自分の記憶に強烈に残そうと思って勉強をしていました。たとえば、モロッコ事件がなんで第一次世界大戦に広がったかとか、一個のトリガーを出されたら、直ぐに他の知識が点火されるようにしていました。ゴロは自分で調べずに作りました。そのおかげで、1ヶ月勉強しなくても、単語が出てくるスピードはなまったけど、忘れはしなかったので耐えられました。

 

ー具体的に、どんな感じで知識が広がるのかを聞いてもいい?

 

木村 ラティフンディア(大土地所有制)の説明が一番わかりやすいと思うんですけど、それを例にするとこんな感じです。まずローマにおいては、ポエニ戦争があって、ローマ側が勝ってシチリア半島が属州化された。次がシチリア半島から安い穀物や奴隷が国内に流入する。だから国内産業が打撃を受けて、中小農民が没落する。彼らが手放した土地を騎士が買収する。これが1ステップ目。その後、ローマの平和があって、戦争が無くなるから奴隷が入ってこなくなって、奴隷の価値が相対的に上がる。だから、大土地所有制として奴隷の扱いが改善する。改善することによって、小作人制が始まる。という感じで、インプットすると僕は忘れなかったです。

 

ーなるほど。もう自分で講義出来るくらいだね。具体的にはどうやって勉強して忘れない状態を作ったの?

 

木村 『茂木誠の世界史Bが面白いほど分かる本』を何度もやることで出来るようになりました。参考書を見て、閉じて、白紙に読んだ内容を書き出して、自分で講義できるかをずっと試していました。あとはに授業をしたりもしていました。何も知らない人に授業をするようにやったら、本当に忘れなかったです。

 世界史の勉強は、高校2年生の10月からはじめました。『茂木』を引退したのが6月だから約8ヶ月間ずっとやっていました。何週したか分からないです。5月から『齋藤の一問一答』をやって、そこにヒストリアで得た知識を書き込んでいく勉強をやっていました。それを8月終わりまでやって、早慶で割くらい取れるようになりました。そのときは因果関係が入っていたから、知識をどんどん上乗せする感じでスムーズに進めることが出来ました。みんな土台がしっかりしてないと思うんですよね。なのに早慶レベルのことをやって、MARCHが出来なくなるんじゃないかなって思って、ひたすら土台を固めることをやっていました

 

ーありがとう。時間はかかったけど、盤石な土台を作れたのが素晴らしいよね。

 

国語は苦手だったけれど…

 

ー国語は最後まで苦戦したけど、どうやって克服したの?

 

木村 MARCHレベルまでは根性でなんとかしました。僕は話が全体で見えてなかったので、本当は話が脱線していないんだけど、全体を意識できていないから話が脱線しているように感じている文章が結構あったんですよね。だから、形式段落で分けて、形式段落同士の繋がり方を考える練習をすると全体が見えるようになりました。

 

ー分かる。とくに早稲田とかは、そういう文章が多くなるよね。

 

木村 古文は、ひとつ明確に変わったのがあって、河野塾の国語の先生に田中先生という人がいて、その人の動画を見て変わったことがあるんです。古文は単語文法の逐語訳が大事なのじゃなくて、7〜8割の意味を捉えて情景を浮かべることが大事なんですね。それを意識してやっていけば、共通テストも満点を取れるようになっていきました。

 

ーそれはめっちゃ大事だよね。その場所にいるはずの人のことを考えたりすることで、主語が補えるようになっていくよね。

 

木村 英語もそうじゃないですか?いっぱい単語だけやっても意味がない

 

ーあと、木村くんは共通テストが大切な国際教養志望なのに、共通テストが苦手だったんだよね。

 

木村 そうです。休みの時点で、共通テスト模試が英語リーディング61、リスニング64、国語93、世界史69でした。

 

ー全然、足りていないね。

 

木村 最後まで苦手意識がありました。国語は12月まで週に3回は共通テスト、週に4回早稲田を解いて対策していました。もちろん共通テスト対策が大事なんですけど、自分は実力が足りなかったので、傾向以前に読解力を鍛えようと早稲田を中心に解いていました。12月から共通テストに集中した対策をしました。でも、漢文が最後までダメで、共通テストも漢文でやらかしたせいで、他は1ミスまで持っていけたんですけど、最終的に157点になりました。

 

ーなるほどね。こうやってみると、木村くん的なベストは尽くせたんだね。他の共通テスト本番はどれくらいだったの?

 

木村 英語リーディングが70でした。国際教養は世界史と国語しか点数を見ないので、世界史と国語が終わったあとの英語は、全然集中できていなかったんです。それで友達に「ちゃんとやれよ」って怒られてリスニングは90を取りました。世界史が87で4ミスです。

 

まさかの1割ビハインド!起死回生の逆転劇!

 

ーありがとう。ここから絶望が始まったと。

 

木村 自己採点を終えて、平均点が高いだろうということでかなりマズイなって状態でした。でも、ここで逆転したらかっこいいなと思っていました。リサーチが出るまでは耐えていたんですけど、ふたを開けるとボーダーが上がっていてやばいなと思いました。でも、もともと国語はこれくらいの点数になると思っていたんですよね。どこかの大問でやらかすと。だから、実は驚きはなかったんですよね。ただ純粋に国際教養に対してボーダーからビハインド7点の、英語の当日の試験で約1割差がある状態でした。

 

ー早稲田本番でこの差を埋めるのはめちゃくちゃ難しいんじゃないかって思って正直こっちはメチャクチャビビっていたんだよね。どうしようって。

 

木村 そうですね。だから、本当に動じたのは1月26日の20時半でした。あのときのことは忘れません。出来ると思っていた過去問のライティングを共通テスト後に解いて添削してもらったら、全然出来ていないって言われて、動じました。そこから何とかしてやろうと思いました。ライティングをやっているときは、他を犠牲にして頑張っているわけですよね。そうすると国語と世界史がおろそかになっちゃって、他の学部が受かりにくくなる。自分は、本当に国際教養でいいのかって、毎日揺らいでました。

 

−でも1週間くらいでちゃんとしたものを書けるようになったよね。あのときの起死回生はすごかった。ライティングはどうやって対策したの?

 

木村 日本語で意見を書いて、それをchatGPTで翻訳してもらったら、良く出てくるフレーズが分かるようになってきて、追加で指示を出して似たものとか、使えそうなものを教えてもらって、それを集めまくって対策しました。過去問を解いて添削をしてもらって、汎用性の高いフレーズを過去問の紙に集めまくって、それを毎日音読してひたすら覚えていました。本番の直前までそれを使って対策していました。

 

ーすごい量があったよね?参考書一冊分くらいはあった気がする。

 

木村 あれが6セットはあるんですよ。

 

ーやばい!英語学習の鏡みたいな勉強方法をしているね。

 

第一志望を抑える本番力とは?

 

ー自分はなんで早稲田大学に合格できたと思う?

 

木村 早稲田って得点調整があるじゃないですか?3教科すべてを仕上げなければ受からない。僕の実力として英語と世界史は得点調整を食らわない自信があったので、国語さえ出来れば受かるので、6学部のうちどれかで当たりを引けば受かると思って心理的な負担を減らしたことがひとつあります。あとは、その1回の当たりを引くために、過去問を研究して、論理じゃ説明できない、早稲田ってこういう選択肢が好きだよねって、自分の経験が言っている正解を信じられるように、運を引き付ける勉強をしたことだと思っています。もうひとつ受かった文化構想も本番で、過去最高の4ミスを国語で取れて、なんでそれが出来たのか、もう一回受けたら受かるかどうかは分からないんですけど、過去問は12年分くらいは解きました。

 

ー戦略勝ちってところになるのかもね。でも、本番で出し切れたことがすごいと思う。勝負強さはどう身につけたの?

 

木村 メンタルじゃないですか?物事の捉え方を根本から変える。共通テストがダメでも、「ここで取ればかっこいいじゃん」って思う習慣がありました。野球でも、「ここで打てなかったらダメ」じゃなくて、「ここで打ったら勝つ」というように、自分が行動しやすいように捉え方を変えるってことが大事だと思います。

 

ーそれは大事だよね。本番中に工夫をしていたことはある?

 

木村 本番中は授業をしながら問題を解いていました。映像授業の配信をしているみたいな。三浦先生がよく生徒に手元解説を見せてやっているように、迷ったときも迷いの過程すらも口に出しながらやると、ちゃんと正解を選べるという感じがありました。確証がないものは全然飛ばして後で戻ってきます。それを捨てれない人は多いと思うんですけど、2回目のリフレッシュした世界線で解き直すことを大事にしていました。そうすると緊張しなかったです。緊張を集中に変えることが出来るかどうかはその人のメンタル次第だとも思うのですけど、僕の場合はこういうやり方で乗り越えていました。

 

最後に

 

ー早稲田大学に入学して、これから何をしたい?

 

木村 自分の友達にはいろんなひとがいるから。結構、複雑な人が多くて、なんでなのかなとかを考えられる人になりたいと思っています。いままでどういう過去があったらどういう性格になるのかを知りたい。人間の人格形成について、そういうことに興味があります。あとは英語を勉強して、英語で何かを学びたいです。やっぱり英語は手段なので、手段にするまでが大変なんですけどね。

 

ー後輩へ向けてアドバイスってある?

 

木村 ありきたりなんですけど、諦めなければ何とかなるよって思います。あとは、受験生のうちは第一志望に受からなければ人生が終わると思って頑張ってください。勝負から逃げないこと。プロセスを評価するのは受験後にいくらでも出来るので。勝負から逃げないことが大事だと思います。

 

ー木村くんらしいチャレンジ精神のある言葉だね!部活と両立したからこその第一志望校合格。本当にすごかったと思います。ありがとうございました!