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白りんの歴史は流山から始まった!武田塾南流山校のブログ

みりんの歴史は流山から始まった

江戸の昔から「みりんは流山、しょうゆは野田」と言われてきました。
みりんの歴史は流山の歴史でもあるのです。

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■ みりん(味醂)は飲み物だった

今でもみりんが正月のお屠蘇(とそ)として飲まれているように、みりんは古くからお酒と同じような飲み物でした。
今のように、料理に使われるようになったのは幕末の頃、蕎麦(そば)に使われたのが最初です。

みりんは甘い酒として飲まれていました。
もともとは女性やお酒に弱い人のための飲み物だったそうです。
だから結婚式の時に交わす三々九度の盃の「お神酒(おみき)」にも、以前はみりんが使われていました。
結婚式を執り行っている神主さんに聞いたら、今でも清酒にみりんを加えてお神酒を作っているそうです。

■ みりんはモチ米で作られている

日本酒はお米で作られています。
今では山田錦など日本酒のための品種が使われていますが、もともとはごく普通の主食に使うお米を利用していました。
一方でみりんの材料はモチ米です。
日本酒と同じように米麹(こうじ)によって発酵させて作られます。

普通のお米以上に、モチ米には澱粉(でんぷん)が多く含まれています。
その澱粉が糖に変化するので甘味が出ます。

近代にいたるまで甘味が貴重だったので、お酒というよりは甘い飲み物といった感じだったようです。

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■ 流山ブランド「天晴(あっぱれ)みりん」

江戸時代から流山には、みりんの製造元が二つありました。
その一つが「天晴(あっぱれ)みりん」です。
天明年間に4代目秋元三左衛門がみりんの製造を始め、昔のみりんは褐色だったのですが、5代目秋元三左衛門が白みりんを開発して商業化に成功します。

その後も流山を代表する素封家(そほうか:大金持ち)となった秋元家によって生産が続けられてきたのですが、時代の流れに抗しきれず、平成19年に工場を閉鎖しました。

そのために一度は途絶えた天晴みりんですが、平成27年になって三菱商事グループのMCフードスペシャリティーズ㈱によって復活しました。
これで流山みりんの2大ブランドが、時の流れを超えて続くことになります。

■ 小林一茶のスポンサーだった

余談ですが5代目三左衛門は双樹と号した俳人としても知られています。
小林一茶と親交があり、一茶は双樹に会うために50回以上も流山に訪れたそうです。

三左衛門は小林一茶の強力なスポンサーでもあったようですが、それだけでは50回以上も流山を訪れないと思います。
やはり一茶にとって三左衛門は、心から親しく付き合える友人だったのでしょう。

流山市の第1号指定記念物(史跡)は「一茶双樹記念館」です。
一茶と双樹が親交を深めた由緒ある土地として、みりんの生産が一番盛んだった安政時代の建物、双樹亭や枯山水の庭園や秋元本家、一茶庵などを公開しています。

https://nagareyama-td.com/issasouju/

 

■ 流山ブランド「万上(まんじょう)みりん」

もう一つが「万上みりん」です。
江戸中期の文化11年、流山で酒造りを営んでいた相模屋の二代目当主、堀切紋次郎が透明に澄んだ白みりんの醸造に成功します。

堀切紋次郎は、自ら販路の開拓のために東奔西走します。
その努力の甲斐あって、やがて流山の白みりん酒として江戸で大人気となり、東(あずま)名物として日本全国に広がったそうです。

この「万上みりん」は現在のキッコーマンに受け継がれています。

江戸時代に流山みりんの普及に努めた堀切家は、大正6年(1917年)に野田醤油の出資により万上味醂㈱を設立します。
その後、大正14年に野田醤油㈱と合併してやがてキッコーマン㈱となり、今も「万上みりん」の名をつないでいます。

https://www.kikkoman.co.jp/manjo/index02.html

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■ 全国制覇を成し遂げた流山みりん

2大みりん製造所によって、日本中に流山の白みりんが普及して行きました。

キッコーマンのホームページによると、文政7~8年(1824~5年)には江戸中に「流山味醂(みりん)酒」の看板がかかっていたそうです。

その頃はまだ飲み物としての「みりん酒」だったのですが、やがてみりんはそばつゆなどにも用いられるようになり、明治の後半には料理に利用されるようになります。

さらにキッコーマンの努力によって、やがて日本料理に欠かせない調味料「本みりん」として不動の地位を確保するに至ります。

■ 流山だからこそ、みりんが一大産業となった

江戸時代から明治にかけて、利根川から江戸川へと続く水運の利用によって、野田や流山は物資の積み替えや集積場として発展していきました。
そして同時に北関東から運ばれてきた米や大豆を加工して、味噌や醤油、酒などに製品化してから江戸へと運ぶようになったのです。
それが野田の醬油であり、流山の酒造りから転じたみりんです。

みりんの原料はモチ米とうるち米(米麹の原料)です。
そのモチ米は、流山から松戸にかけての地域で作られていました。さらに流山西部はうるち米の産地でした。
さらに江戸川によって醸造に必要な水源にも恵まれていたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・

《これ一見の価値ありです》

■ みりんちゃんとこぼれ梅の「やっぱりみりんdeしょ」

流山在住のイラストレーター、ノグチノブコさんが描いた超カワユイキャラクターが「みりんちゃんとこぼれ梅」です。

ガイドブック「やっぱりみりんdeしょ」で、流山市内のみりん製造会社や飲食店、小売店などをみりんちゃんとこぼれ梅が紹介しています。

※ 流山商工会議所や流鉄流山線流山駅などで無償配布しています。

https://noguchinobuko.com/mirin/

 

■ 「マンガ・流山みりん物語」もあるよ

同じくノグチノブコさんによる、みりんの起源や流山みりんの歴史を分かりやすく描いた漫画「「マンガ・流山みりん物語(定価600円)」もあります。
流山おおたかの森駅のSC内にある「紀伊国屋書店」や「一茶双樹記念館で売っています。もちろんアマゾンや下記のサイトでも売っていますよ。

https://mirin333.base.shop/

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