流山市は野馬土手に囲まれた馬の放牧地だった
流山おおたかの森駅構内にある馬の銅像
金属造形作家 木下哲人氏が流山市に寄贈 (画像)
■ 戦の大勢は軍馬によって決まった
鎌倉時代から江戸時代へ続く武士の時代の最大の機動力は軍馬です。
鎌倉幕府は、騎馬戦を得意とした東国武士団(坂東武者)がいたからこそ、栄華を誇った平家を打倒して実現しました。
武田信玄の甲州騎馬軍団はいうに及ばず、中世における軍事力は武器の優劣もありましたが、機動力としての軍馬こそが要だったのです。
1603年から1868年まで続く江戸時代になっても、戦こそなかったものの所有する軍馬の数こそが鉄砲などの武具以上に権力の象徴とされていました。
■ 江戸幕府と小金牧(こがねまき)
江戸幕府の軍馬の放牧場(育成地)が流山周辺の台地上に広がる小金牧です。
当時は自然繁殖が普通だったので広大な牧(まき)を堰堤で囲み、半ば野生のままに馬を育てたので「野馬」と呼ばれていました。
南柏駅の北、流山市と柏市の市境には今も「野馬堀」、人の住む地域に野馬が侵入しないようにするための「野馬除土手」が保存されています。
野馬を追い込んで捕獲する場所が「捕込」です。
今も東葛地域のあちこちに捕込という地名が残っています。
捕込に野馬を追い込んで捕獲して、選別された良馬が江戸へと送られました。
選ばれなかった馬は競りにかけられ百姓に払い下げられました。
■ 流山だけが別世界のように栄えていた
江戸へと続く江戸川と、利根川を結ぶ運河によって流山は物流の一大拠点でした。
商人の町として栄えていたので、周辺には自然のままの広大な牧が広がっていたのに、その真ん中にぽかりと浮かぶ人口密集地、白壁や土蔵、商家が並ぶ別世界のような存在です。
なにしろ江戸時代の終わりまでは森の中には狼も出て、日が暮れてからの移動は命懸けだったそうです。
今では想像もできませんが松戸と流山を除く東葛地域は、今から150年ぐらい前までは、江戸周辺ではまれな、野生化した野馬が走り回り、狼が跋扈する原野だったのです。
■ 流山周辺に野馬堀が多いわけ
松戸市の「金ケ作」の地名も馬を囲む「柵」から来ています。
今も残る「小金原」の地名は小金牧を小金原と呼ぶこともあったことから付いた地名です。
常磐線の「北小金」の駅名も小金原の北に位置していたことで命名されました。
ちなみに北小金駅の場所には小金牧を取り仕切る野馬奉行の屋敷があったそうです。
流山市周辺の柏市などとの市境部分に野馬土手の遺構が数多く見つかることから、商家が多く、さらにその周辺には農家も多かった流山へ野馬が侵入しないように防いでいました。
ですから市境部分の「野馬堀」を除くと流山市内には小金牧に関係した遺跡がほとんどないのですが、流山市初石にある「オランダ観音」は、品種改良用に輸入されたペルシャ馬を祀っています。
■ 小金牧は浪人となった幕臣の移住先
初富は1、二和は2、三咲は3、豊四季は4、五香は5,六実は6、七栄は7、八街は8、九美上は9、十倉は10、十余一は11、十余二は12。みなさんも知っている地名が多いんじゃないでしょうか。
これは旧幕臣など明治維新で職を失った窮民の受け入れ先として、幕府の軍馬育成のための御用地であった小金牧に送り込んだ開拓団の番号に由来しています。
東京となった江戸周辺に残された貴重な未開拓地が小金牧だったのです。
大正10年に豊四季1号稲荷神社に「開拓記念碑」建てたという記録も残っています。
■ 常磐線が迂回したわけ
小金牧に開拓団の入る明治の初めまで未開拓地域だったのが東葛地域です。
ところが明治時代になって、近代化の波が一気に押し寄せます。
その象徴ともいえるのが鉄道です。
東葛地域を通る常磐線は、常磐炭坑で採れた石炭を東京へ運ぶルートとして計画されました。
その場合、松戸から水戸を経て常磐炭坑に至るルートで考えられるのは、流山経由です。
ところがその流山で、猛烈な反対運動が起きました。
当時の鉄道は蒸気機関ですから、当然煙も出れば火の粉も飛びます。
さらに水運で栄えていた流山ですから、水運業者にとっては競争相手の鉄道なんて、百害あって一利なしの鉄道です。
力のある商家も多かったので、時の政府も強行できません。
その一方で柏周辺には、先にも書いたように狼が出るような未開拓地域が広がっています。
少々遠回りになっても、そのほとんどが旧小金牧ですから用地収得もやりやすかったのでしょう。
やがて鉄道は荷物輸送から人の移動手段として発展するのですが、その当時は厄介者を追い払ったと村人挙げて祝杯して、お祭り騒ぎが続いたそうです。
■ 流山の歴史に陰ながら影響した小金牧
流山周辺に広がっていた幕府の軍用馬育成地、小金牧。その小金牧を取り囲んでいたのが「野馬堀」ですが、見方によっては流山が「野馬堀」に囲まれていたように思います。
江戸川から運河を経て利根川に至る水運の町として栄えた流山ですが、裕福で力のあった商人や大地主が多かったがゆえに、常磐線は柏方面を通ることになり、その結果として柏周辺は栄えたのに流山は鳴かず飛ばずの時代が続きます。
ところが昨今になって、本来は明治の中頃に通るはずだった常磐線に代わって「つくばエクスプレス」が開通しました。
さらに交通の便に恵まれなかった流山ゆえに、大規模開発の候補地が残っていました。
「禍福は糾(あざな)える縄の如し」と言います。
明治から昭和にかけての鉄道の空白期間があったからこそ、「南流山」や「流山おおたかの森」「柏の葉キャンパス」に代表されるような大規模な都市開発が可能になりました。
これって江戸時代から明治の初めに続く軍用馬の育成地、「小金牧」がもたらした、ちょっとした歴史の機微かもしれません。
小金牧を取り巻く歴史を振り返ってみると、流山だけが東葛地域の中でも進む時間が異なる、異色の存在のように思えてきました。
豊かな自然と美味しい空気が今も残っているのはそのせいです。
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