こんにちは!京都駅の予備校・塾といえば、武田塾京都駅前校です。
さて今回は前回に引き続き、歴史が大得意な講師に聞いた【建築史】についてお話します(^^)/
建築史
弘仁・貞観文化以前については前回お話したので、今回は国風文化以降についてお話していきたいと思います。
国風文化
国風文化のキーワードは浄土教、浄土教といえば阿弥陀仏への信仰です。
有名な寝殿造は平安貴族たちの邸宅の様式であって、国風文化で登場する仏教建築はいずれも阿弥陀堂建築です。
建築様式・建築用語・建築家: | |
阿弥陀堂建築 |
浄土教の影響のもと、阿弥陀仏を本尊として安置する堂の建築 |
寝殿造 |
貴族邸宅の建築様式。主人の居住する寝殿を中心に、東西に対屋(子)を北に北の対(妻)を池に釣殿を配置し透渡殿や廊で結んだ。建物は檜皮葺 |
建築作品: | |
法成寺 |
藤原道長が建立した阿弥陀堂建築を含む寺院。壮麗さを誇ったが寺院ごと焼失した |
平等鳳凰堂 |
藤原頼通が建立した代表的な阿弥陀堂建築 |
その他の国風建築 |
法界寺阿弥陀堂・石山寺本堂・醍醐寺五重塔 |
院政期の文化
国風文化の時代に引き続き浄土教が隆盛しています。
浄土教のキーワード「阿弥陀仏信仰」が地方に波及した点が顕著な事項ですので、地図問題で問われてもいいようにそれぞれの場所も確認しておきましょう。
建築様式・建築用語・建築家:地方への浄土教の普及の指標にもなる | |
浄土庭園 |
極楽浄土の様子を意識した庭園建築様式 |
建築作品: | |
中尊寺金色堂 |
藤原清衡が平泉に建立した阿弥陀堂建築。清衡・基衡・秀衡三代のミイラがある |
富貴寺大堂 |
大分県にある阿弥陀堂建築 |
白水阿弥陀堂 |
福島県にある阿弥陀堂建築 |
その他の平安末期建築 |
阿弥陀堂:宇佐八幡弥勒寺(大分県)、三仏寺投入堂(鳥取県) 浄土庭園:毛越寺庭園(岩手県平泉) |
鎌倉文化
鎌倉時代では新仏教宗派が台頭してきた時代です。
しかし同時に旧仏教も復興運動を盛んにします。
建築の分野でも奈良の寺院の復興の結果が再建した建築があるほか、新仏教として禅宗の影響も見られるようになってきます。
建築様式・建築用語・建築家: | |
和様 |
鎌倉時代における、従来の日本様式を引きついだ建築様式 |
大仏様(天竺様) | 重源が東大寺再建に際して採用した建築様式 |
禅宗様(唐様) | 宋から輸入された花頭窓や桟唐戸を特徴とする建築様式 |
折衷様 |
和様に大仏様や禅宗様の技法を取り入れた建築様式 |
重源 |
僧。建築家。造東大寺大勧進職となり、平重衡の焼討をうけた東大寺の再建に尽力した |
陳和卿 |
宋から来日した工人。重源に従って東大寺の大仏や大仏殿の再建に協力 |
建築作品: |
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蓮華王院本堂(三十三間堂) |
後白河法皇の勅願で平清盛が建立し、鎌倉時代に再建した代表的な和様建築 |
東大寺南大門 |
重源により再建された鎌倉時代の東大寺の代表的な大仏様建築 |
円覚寺舎利殿 |
北条時宗が南宋から招いた無学祖元に開かせた臨済宗寺院にある代表的な禅宗様建築 |
その他の鎌倉建築 |
和様建築:石山寺多宝塔、秋篠寺本堂、興福寺北円堂 折衷様建築:観心寺金堂
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室町文化
室町文化において、特に建築の世界での主要な担い手は室町将軍を中心とした上級武士です。
その武士たちに深く影響を与えた禅宗は、彼らの建てさせた建築物にも反映されており、禅宗様、書院造、枯山水などを含む建築が顕著になっています。
建築様式・建築用語・建築家: | |
書院造 |
室町~桃山期の上流武士の邸宅の建築様式。 要素:付書院、違い棚、明障子、床の間、襖 |
枯山水 |
禅宗の影響で、石と砂のみで山水の風情を表現しようとする庭園建築様式 |
山水河原者 |
中世の非差別階級河原者の内、造園技術に優れた者たちの総称 |
善阿弥 |
作庭師。山水河原者の一人として足利義政に登用され、慈照寺庭園などを手掛けた |
建築作品: |
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鹿苑寺金閣 |
足利義満建立の鹿苑寺にある金箔張り三層楼閣。1950年焼失1955年再建。 第一層:寝殿造の阿弥陀堂 第二層:観音堂 第三層:禅宗様の仏殿 |
慈照寺銀閣 |
足利義政建立の慈照寺にある二層楼閣。下層:書院造 上層:禅宗様 |
慈照寺東求堂同仁斎 |
代表的書院造(付書院・違い棚・明障子を特徴とする禅風の建築様式)建築 |
竜安寺石庭 |
細川勝元が開かせた寺院の代表的な枯山水庭園 |
その他の室町建築 |
建築:永保寺開山堂・興福寺東金堂・興福寺五重塔・瑠璃光寺五重塔 庭園:大徳寺大仙院庭園・西芳寺庭園・天龍寺庭園・鹿苑寺庭園・慈照寺庭園・常栄寺雪舟庭 |
桃山文化
内乱が相次いだ戦国時代に発達した城郭建築は、統一の進んだ桃山時代に美術としての性格も見せるようになります。
しかしながら、城郭内にある建築であることが災いして、戦火などの要因で失われたものも多く、その遺構を移築したものとして寺社が登場します。(醍醐寺は城郭建築の遺構ではありません)
また、この時代に大成した茶の湯の為の空間として茶室建築も一つ登場します。
建築様式・建築用語・建築家: | |
城郭建築 |
平城へ:単なる軍事施設→政庁機能の重視。鉄砲による戦術革新 設備:重層の天守閣を持つ本丸、書院造を取り入れた居館 内部:欄間に透かし彫りの彫刻、濃絵による豪華な障壁画 |
茶室建築 |
茶道の隆盛に伴って登場した建築。特に侘茶の影響によるものを草庵茶室という |
千利休 |
侘茶の大成者。草庵茶室の設計にも長け、妙喜庵待庵などを手掛けた |
建築作品: | |
安土城 |
織田信長が近江国に築いた城郭建築。五層七重の天守閣含め、本能寺の変後焼失 |
大阪城 |
豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に築いた城郭建築。大坂の陣で焼失した。20世紀に再建 |
伏見城 |
豊臣秀吉が山城国に邸宅を兼ねて築いた城郭建築。後に破壊された。 その遺構が都久夫須麻神社本殿・唐門、西本願寺書院・唐門に残る |
聚(じゅ)楽第(らくだい) |
豊臣秀吉が平安宮の大内裏跡地に建設した城郭風邸宅。後陽成天皇を招いた。 その遺構が西本願寺飛雲閣(異説有り)、大徳寺唐門に残る |
姫路城 |
播磨国の城。赤松氏や羽柴秀吉の居城を経て現存の城郭は池田輝政が築城 |
醍醐寺三宝院 |
庭園と表書院が代表的な桃山時代の建築 |
妙喜庵待庵 |
千利休作との確証がある唯一の草庵茶室 |
その他の桃山建築 |
城郭建築:二条城 城郭建築の遺構:都久夫須麻神社本殿・唐門(伏見城)、西本願寺書院・唐門(伏見城)、西本願寺飛雲閣(聚楽第)、大徳寺唐門(聚楽第) |
寛永期の文化
安土桃山時代から江戸時代への移行期にあたる寛永期の文化では、桃山文化の残滓を感じ取ることができます。
まずは江戸幕府初代将軍徳川家康を祀る日光東照宮、そして茶室を吸収して発展した書院造の新形態数寄屋造の諸建築です。
この時代に来日した隠元隆琦に伝えられた禅宗の一派黄檗宗の寺院にある建築も登場しています。
建築様式・建築用語・建築家: | |
霊廟建築 |
寛永期に代表的な祖先や偉人の霊を祀る神社建築 |
権現造 |
寛永期に代表的な霊廟建築の建築様式 |
数寄屋造 |
書院造に茶室建築を取り入れて簡素化した建築様式 |
建築作品: |
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日光東照宮(陽明門) |
徳川家康を祀るために築かれた権現造の霊廟建築 |
桂離宮 |
八条宮智仁親王の別邸として築かれた代表的な数寄屋造建築。回遊式庭園をもつ |
修学院離宮 |
後水尾天皇の邸宅として築かれた数寄屋造の建築。回遊式庭園をもつ |
その他の江戸初期建築 |
清水寺本堂・延暦寺根本本堂・崇福寺大雄宝殿・万福寺大雄宝殿 |
元禄文化
この時代までには宗教建築も豪華な建築も目立たなくなります。
戦国時代に再び焼討にあった東大寺の再建がこの時代であり、現存する大仏・大仏殿が元禄文化に含まれるくらいのものでしょう。
建築作品: | |
東大寺大仏殿 |
松永久秀の焼討を受けて損傷し、大仏とともに再建された |
その他の元禄建築 |
善光寺本堂 |
まとめ
2回にわたって解説してきた建築史はいかがでしたか?少し難しいところもあったかと思いますが、受験勉強に是非活用してください(^^)/
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