「享保」「寛政」「天保」この3つの単語からみなさんは何を想起しますか?世界史や地理を選択された方には少し難しいかもしれませんが、これは日本史の「江戸時代三大改革」の年号です。日本史選択者にはご理解いただけると思いますが、江戸時代の範囲で特に混同しやすいのがこの単元です。今回はこの三大改革の変遷を本百姓体制の再建や商業資本の活用(株仲間の奨励や貨幣改鋳etc.)に基づいて、皆さんと一緒に辿って行きたいと思います。
幕府の株仲間政策の変遷
まず三大改革の変遷に入る前に、幕府の株仲間政策の変遷をおさらいしましょう。17世期中頃には株仲間は、特殊な御免株仲間政策(貿易統制・警察的取締)を除いて禁止されていました。元禄期(徳川綱吉期)〜正徳期(新井白石期)には、西廻り航路が栄えていたため株仲間は黙認されていました。享保期(徳川吉宗期)には、財政不足を補うべく、運上・冥加目的で積極的に奨励されていました。寛政期(松平定信期)には、株仲間を重用した田沼政治への反省から抑圧されていました。文化・文政期(水野忠成期)には、再編され、権利拡大が図られました。天保期(水野忠邦期)には、株仲間解散令(1841)が発令されるなど、風当たりの強い時代でした。以上の事から、株仲間の扱いが、時代や政権担当者によって異なっていることが見て取れます。
三大改革の変遷
三大改革に共通するのは「本百姓体制の再建」です。彼らは重農主義政策を通して農民から米を回収し、財政を立て直そうとしました。対して天明期の田沼意次、文化的文政期の水野忠成は商業資本の活用(重商主義政策)によって商人からカネを回収し、財政の立て直しを図りました。
〈享保の改革〉
政権担当者→徳川吉宗
政策 →新田開発奨励・年貢増徴定免法採用・倹約令
株仲間 →公認
結果 →物価上昇・米価下落
〈天明期〉
政権担当者→田沼意次
政策 →南鐐ニ朱銀の発行・長崎貿易の拡大
株仲間 →奨励
結果 →自然災害や後盾の徳川家治の死により老中を罷免
〈寛政の改革〉
政権担当者→松平定信
政策 →人足寄場・旧里帰農令・出版風俗統制・倹約礼
株仲間 →抑制
結果 →尊号一件の処理や緊縮策への不満により失脚
〈文政期〉
政権担当者→水野忠成
政策 →文政金銀の発行・江戸地廻り経済圏の形成
株仲間 →再編・拡大
結果 →天保の大飢饉により失脚
〈天保の改革〉
政権担当者→水野忠邦
政策 →人返しの法・出版風俗統制・倹約令
株仲間 →解散
結果 →水野忠邦の失脚で中止
TMI:三大改革では出版風俗統制や倹約令による緊縮財政が展開されたため、町人らによる文化が育ちませんでした。また、彼らは上下の身分を重んじる朱子学を重視していた事から、士農工商の厳格な身分制に固執していたのかもしれません。また、朱子学には「貴穀賤金」という考えがあり、商業活動自体を卑しいものだと考える風潮がありました。それゆえに、士農工「商」となっていたのです...
最後に問題を載せておきます。
問、以下のA〜Pの政策の中で、享保の改革なら①、寛政の改革なら②、天保の改革なら③、それ以外なら④を選びなさい。(解答が複数個になるものもあります。)
A 人足寄場の設置
B 上げ米の政策
C 倹約令
D 文政金銀の発行
E 上知令
F 南鐐ニ朱銀の発行
G 株仲間の公認
H 人返しの法
I 相対済し令
J 旧里帰農令
K 長崎貿易の拡大
L 棄捐令
M 定免法の採用
N 出版物統制令
O 囲米
P 株仲間解散令
解答
A② B① C①,②,③ D④ E③ F④ G① H③ I① J② K④ L②,③ M① N②,③ O② P③
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