みなさんこんにちは! 武田塾刈谷校です!
突然ですが、皆さんは「言葉」って何だと思いますか?
多くの人にとってはコミュニケーションのツールであり、現実に存在しているものや概念のかわり(=名前)をするものでしょう。
しかし、考え方によっては、存在しなかったものを存在させるものであったり、文化を映し出す鏡であったりするのです。
「どういうこと?」と首を傾げた人がほとんどでしょうか。
しかし、これが入試で頻出の言語論の考え方です。
10冊現代文の参考書があれば、10問は言語論の問題が含まれていますし、大学10年分の過去問があれば2-3年くらいは言語論が出題されている可能性があります。
絶対ではありませんが。そのくらい頻出なのです。
今回はそんな言語論について、「言葉」にまつわる豆知識もはさみながら、わかりやすく解説していきたいと思います!
日本語の概念は英語にもあるのか
今Google翻訳に「お疲れ様です」を英訳させると ”Thank you for your hard work” と出ました。
高性能翻訳で有名なDeepl翻訳は、他の選択肢として ”Thanks for your help.” を提示します。
ここで言いたいのは「それ、ほんとに使える?」ということです。
「お疲れ様です」は何か難しいことを無事やり遂げた相手へのねぎらいの言葉として使われることが多いですが、あいさつとしても使うはずです。
筆者も中高が運動部だったため、学校で先輩・後輩とすれ違うたびに言っていました。
最初は「何に疲れてるんだ?」と思っていましたが、人は順応する生き物ですね。
実際に使ってみると?
さて、あなたは学校にいて、前から知り合いの先輩が歩いてきました。
"Thank you for your hard work" って言いますか?
言わないですよね。
どれだけネイティブな発音であったとしても先輩は聞き返してくると思います。
つまり、(急に英語を話す違和感のせいもあるかもしれませんが)「お疲れ様です」を完全に英訳することはできないのです。
では、何故できないのでしょうか。
「言葉と物・概念が一対一で対応していない」とは
先に言ってしまうと、言葉と物・概念が一対一で対応していないからです。
年齢や立場による上下関係がはっきりしており、目上の人への敬意を大切にする日本においては、「目上の人をねぎらう」ことは重要視されています。
それは、先に見た部活の先輩や、先生との関係を思い浮かべれば納得いくはずです。あまり話したこともないのに「お疲れ様です」と声をかけるのは、年上の部活の先輩だからであり、必ずしもあなたが尊敬しているからではないはずです。
「目上の人を大切にしなければ、ねぎらわなければ」という意識が人々の間で共有されていった結果、日本では、「お疲れ様です」という言葉が生まれました。
一方、英語を使用するアメリカでは、「明確な上下関係がないため、敬語はない」とまで言われます。(実際にはありますが)
「目上の人をねぎらう」概念がない以上、それに対応する言葉は生まれません。
これが言葉と物・概念が一対一で対応していない、ということです。
ここまでの話をまとめると・・・
私たちが生きている世界は、言葉が存在する以前からきちんと区分されているわけではありません。
ここで言えば、「目上の人をねぎらう概念」に「お疲れ様です」という名前が付けられたわけではありません。
モノ・概念は言葉とともに誕生するのです。
段々意味が分からなくなってきたでしょうか。では次の例に移りましょう。
虹はホントに7色?
アメリカの虹は赤・橙・黄・緑・青・紫の6色からなります。日本はこれに藍をプラスした7色が一般的ですね。
このように、虹は国によってとらえ方が大きく異なります。
最大はアフリカのアル部族などの8色、最小は南アジアのバイガ族などの2色となっています。
虹の色そのものが変わっているわけではないはずです。
では、何故こんなことが起きるのでしょう?
ここでも「言葉」が関係してくるのです。
藍色がない国の虹の色は何色?
日本語は青色と藍色を言葉によって区別することができますが、その区別がなく、藍色を指す言葉がない国を考えてみましょう。
すると、虹は「赤・橙・黄・緑・青・紫」の6色に見えるのです。
つまり、虹は最初から7色で、それに7つの異なる名前をつけているのではないのです。
色の名前を知っているからこそ、虹が7色に見えるのです。
私たちは通常、モノが先に存在してそれに名前を付けていると考えています。
しかしこの虹の例は、「藍」という言葉があるから「藍」を認識できていることを示しています。
このことから、名前があって初めてモノが認識できるようになる、と言えます。
私たちの認識は言葉によって成り立っているのです。
もう一つこの話で大切なのは、虹の色は連続している、ということです。
下の写真を見てください。
画質があまりよくないので、7色には見えにくいと思います。
はっきり確認できるのは赤・黄・青の3色くらいでしょうか。
ここで見てほしいのは、どこからどこまでが「赤」で「黄」で「青」で…とは言えないことです。
つまり、虹の色は切れ目なく連続しているのです。
私たちはその虹を、色の名前によって7色に区切って認識しているのです。
このことから、言葉には世界を文節するはたらきがあることがわかります。
(文節=連続的な対象に切れ目を入れ、意味を与える)
Sisterは姉?妹?
I have a sister.
上の文を訳してみてください。
「私は姉がいます」「私は妹がいます」「私は姉妹が1人います」・・・訳の可能性があるのはこのくらいでしょうか。
これは筆者について述べた文なので、あえて正解を言うなら「私は姉が1人います」となります。
中学で扱うような英文ひとつとっても、日本語に訳す際は「姉」か「妹」か「姉妹」など、様々な訳が考えられます。
brotherも同様ですね。
では、英語はなぜ区別せず、日本語はなぜ区別するのでしょう?
また、なぜこのような違いが生まれるのでしょう?
文化にみる言語差
その答えは日本の文化にあります。
古来、日本では年齢を重んじてきました。
相手の方が年上だったら敬語を使うなど、敬意を表す必要があります。
だからこそ「姉」と「妹」と、自分からみた年齢の差で区別するための言葉が生まれたのです。
言葉にはこういった文化背景があって発達した歴史があります。
言葉を見れば、その言語を話す人々の歴史や文化が見えてくるのです。
じゃあ言葉って何なのさ
これまで言葉に関するいくつかの例を見てきました。
これらのことから、言語論の評論では、言葉がこの世界のあらゆるものごとを存在させているだったり、言語が異なれば当然見えている世界も異なっているだったりがテーマになります。
言いすぎだと思いますか?
安心してください、私もそう思います。
ただ中身を読んでみると、「なるほどこういう考え方をする人もいるのだな」と、新しい学びになります。
考えてみると思い当たることがあったりするのではないでしょうか?
「言葉は言葉でしかなくて、ものを存在させているなんて考えられない!」と、そんな風に考えることが難しい人もいるでしょう。
それでもよいです。
ただ、受験で国語を使うからには、こういった面白い例とともに、言語論の考え方を理解して、試験本番でスラスラ読めるようになっておきたいですね。
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