こんにちは。講師の町です。
上越校から見える妙高山が先日初冠雪となりました。朝晩は冷え込むようになりましたね〜
しかし、もう11月が目前だというのにまだまだ日中は汗ばむ陽気!(私だけ?)
昼夜の寒暖差には気をつけたいところです
さて受験生は共通テストまで3ヶ月を切り、私大一般入試や国公立2次まで最大4ヶ月といった時期に差し掛かっています。
今日は受験学年のみならず、2年生、1年生、
もっと言えば中学生も頭に入れておいて損がないお話です。
本質を見抜く力を身につけよう
大学受験や学習課程にあたって、みなさんはさまざまな科目を学習しますが、
その科目ごとにさまざまな特性があることはみなさんもご承知のことでしょう。
その特性との相性によって、文系・理系の選択基準としたりすることと思います。
ところが、実はさまざまある科目について少し引いたところから見ると、やってることは同じだったりします。
例えば、英語は①単語や文法を覚えて②長文を読んで和訳をしたり、場合によっては③自ら作文もします。
英語に最も近い特性の科目は古文で、古文もステップとしては①単語や文法を覚えて②長文を読んで現代語訳します。
英語と違うのは、自分で古典文法を用いて作文することがない点くらいでしょうか。
この観点からすると、現代文も特性は近いのです。すなわち①単語や文法を覚えて②長文を読み、説明をするのです。
現代文は現代日本語で書かれているため、一見、読めて解けて当たり前と言う認識がある。
にもかかわらず、試験ではなかなか高得点を取れることができなかったりするじゃないですか?
それもそのはずで、現代文も語学だからです。結構難しい語句や表現が出てきたりします。そうした表現は文中でも重要な意味合いを持ってくることが多いですが、なんとなく読んでしまう。そして言い換えに気づけず、文脈をおさえられない、よって正確な読解にならない、という流れに乗ってしまうからです。
科目を問わず記述は結局現代文
ここまでは英語と国語の科目についてみてきました。この2教科の特性が似ているのはまだわかるという方も多いでしょう。
しかし、他の科目でも共通した特性があります。
例えば、東京大学、一橋大学、京都大学をはじめとした難関国公立大学では歴史科目でも論述レベルの記述力が求められます。
これらの大学に比べれば字数は減りますが、早稲田大学・慶應義塾大学などの難関私大の一部学部でも論述力が求められています。
歴史科目の場合、基礎知識があることは当然ですが、細かい知識を入れたとしても、それなりの点数は取れても、深い記述ができず、得点力に限界が来ます。
先日こんなことがありました。
まだ2年生の生徒さんですが、一橋大学を目指しています。
日本史の過去問を、教科書を見ても構わないという条件付きで、
現時点でどこまで記述できるかということをやっていました。
学校の授業ですでにやった範囲ということもあり、知識もそれなりに入ってましたし、使うべき重要語句も概ね入っていました。
しかし、「説明せよ」という問題文に対し、具体例をまとめる表現(例えば、「○○といった△△」の△△部分)がなかったり、
書くべき要素をうまく盛り込めなかったりといった点が目立ちました
(注:繰り返しますが、2年生の秋ということを考えれば相当ハイレベルなことをやっています)。
その生徒さんに聞いてみました。
「文章を書く前に、メモ書きとかしてる?現代文とかではしてると思うけど・・・」
すると「現代文ではしてますが、日本史ではやってないです」
と答えました。
日本史の場合は現代文に比べて論述すべき文字数も比較的少ないですが、
盛り込むべき要素は決まっていて、
それを字数に収めるという作業は現代文も日本史も実は一緒。
歴史科目のみならず、地理や公民系でもそうですし、文章を書く科目や出題の場合、理系科目であっても同じです。
これが、本質を見抜く、ということです。
そもそも大学の本質
大学の本質、と聞かれたら、「いい会社に就職して将来安定した暮らしを送るためのステップ」と答える人も少なくないと思われます。
実際そうなりつつある現状ではあるのですが・・・
そうではありません!!
現状、就職予備校化する大学の流れについて、私は非常に危機感を持っています。
大学はかつて象牙の塔ともいわれ、実社会とは離れたところで学問的研究活動に勤しみ、学友と熱い議論を交わす、そんな場ではなかったか。
ところが、人口が減る中で乱立する大学、特に近年は卒業後の人生に直結するような実践的な、学問と呼べるか疑問符がつくような学部・コースが次々と設置されているように感じます。
こうして「学問」の地位が落ちてきていることを非常に嘆かわしく思う今日この頃であります。
社会に出てすぐ使える実践的なものを学ぶのは、本来専門学校の役割ではなかったか。
大学は、学問の真理を探究する場ではなかったか。
ところが、現代ではみな大卒の資格を得るために4年間投資をするわけです。
社会がそうせざるを得ないように仕向けているのです。
大卒でないと生涯賃金が低い。
これが全てなんです。
現代に限っては、これもまた大学の本質と言えるかもしれません。
しかし、大学は研究成果についての論文をかくところです。
そして研究活動をするには、自分自身で自分の知識や能力を拡大できるようになることが必要です。
これが大学の本質です。
大学入試では論理力が問われているわけです。この人は論理的な思考ができるのか、この力を試されているのです。
国公立大学では2次試験に進める人数が限られていることから、よりダイレクトにその力を見ることができるため、文章を書かせる出題が多いのです。
そして、よほどの天才を除き、論理的な文章を書くためにはメモ書きしないと組み立てられません。
論理的思考力は、早いうちに身につけておくほうが吉です。
そして、論理的思考力は本質を見抜く力と相互に密接に関連しています。
この荒れ狂った現代社会を生きる中で、何が正しくて何が間違ってるかの判断を正常にするためには、この力を身につけるしかないのです。
大学進学を考えておられる全ての学生諸君
どうか物事を論理的に考えるという習慣を身につけてください。
そういった人間が一人でも増えることが、この国を立て直す大きな力になるのです。