こんにちは。
今回は受験生の皆さんに送りたいお話があります。
大学受験の勉強において勝負の時期と言われる夏、
そうはいってもなかなか心身のバランスが取れない、やらないといけない気持ちはあるけど体がついてこない
そんなこともあるでしょう。
たまには休息を取ることも大事です。
そんな時にこの不合格体験記を読んでいただければと思います。
不合格体験記ではありますが、実りある不合格体験記としたのは、とても前向きな気持ちになれたからです。
恐縮ではありますが、ちょっとモチベーションが低下したときなどに読んでいただけたら、少しだけ勇気が湧いてくる、
そんな体験記になればと思い、記したいと思います。
司法浪人を始めたのは25の秋だった
大学から東京に出ていた私は大学3年の冬、皆がする就職活動というものを我もやってみむとした。
しかし、私はどうも大学を卒業したら会社に就職するという「既定路線」を進むことに違和感を覚えました。
ぶっちゃけ、高校を卒業したらさまざまな進路がある中で私が大学進学を選んだのは、中学から中高一貫の自称進学校に通っていて、友達も先生も親も、私を取り巻く環境的に当然のように思えたからであって、進学するか否か、ではなくどこの大学に進学するか、がもっぱらの関心であり、私の選択肢でした。大学受験は数学から逃亡できる私立大学、その最高峰の1つである早稲田を志望しました。高1の時に学校から志望校選定を迫られたことによるものですが、数学がもうしんどいと感じていた私にとって、大学コード表に掲載されていた「早稲田」の文字は、私の人生を大きく変えました。英語はもともとできたこともあり、日本史もなんとかなる、あとは国語だけだということで、現実的な目標として「なんだか行けそうな気がする」大学に思えたからです。もちろん、かなり高い目標であることは分かっていましたが、なんとなく直感で合格するイメージを持てたのです。ただ、本当に奇跡的に現役合格してしまったことで進学後はいわゆる「燃え尽き症候群」に陥り、1年生の時は「とりあえず彼女作ってバイトしてリア充したい」という、底辺大学生そのものでした。単位もずいぶん落としました(4年生の時に挽回しました笑)。2年生の頃は初めてできた彼女との文字通りリア充な日々でした。
ところが、2年生の秋からゼミが始まり、学問の面白さに徐々にハマっていきました。「なんでも研究対象になる」ということを知ったのです。なので、ゼミは真面目に取り組んでいました。でも学問というかゼミ活動が楽しすぎて、その先のことまで考えて暮らすことはなかったのです。2年生終わりには前述の彼女との別れがあったりサークルを辞め(自然脱退)たり、同時にバイクに乗り始め、全国を旅するようになりました。もともとそこまでバイクに興味があったわけではなかったのですが、もともと出かけるのが好きで、車の運転も好きで、もっと遡れば子供の頃から自転車で走り回っていたこともあるのですが、当時付き合っていた彼女の父親と兄が乗っててバイク気持ちいいよという話を聞いてから興味が湧いてきたという経緯で、私も免許を取りにいきました。ゆくゆくは一緒にバイク乗って出かけたいねなんて言ってましたが、まさかバイクを納車することになる数日前に彼女と別れることになるとは、なんとも面白い(皮肉ともいう)運命だと、今になって振り返るたび思います。
話は戻りますが、そんなこんなであっという間に3年生の冬を迎え、周りは就活モード一色になりました。就職へのイメージが湧かなかったことと、もう少し勉強したいということでゼミの教授の推薦で大学院に進学させてもらうことになりました。この大学院進学が、実は私が現在上越にいることの伏線となるのですが、その話はまたの機会にしましょう。
2年後に無事修士論文を提出し、修士課程を修了した私は、東京で就職しました。イメージが湧いたとか湧かないとか、そういう次元の話ではなく、おそらく一般的な新卒会社員として社会に入っていくチャンスがこれで終わるという危機感もありました。博士課程に進学できたとして、その先はどうするのかを考えた時に全く未来が見えませんでした。私は修士課程で、整備新幹線の開業に伴う並行在来線の経営分離による地域への影響と未来の姿みたいなことを研究対象としていたのですが、地方の大学で教員になるのか、シンクタンクに就職するのか、ということすらも考えが及ばなかったのです。とりあえず一旦就職しちまおうと、いわば流れに任せたのです。
そんな中就職した会社は某広告代理店の子会社で、広告写真の制作会社でした。写真はもともと好きで、なんとなく漠然と、写真に携われる仕事って面白そうやなーで受けてみたら採用されたという感じでした。
実はこの会社の採用が決まったのは修士2年の秋だったのですが、春の就活の時期に、最終面接で不合格となった会社がありました。宿泊予約管理システムを開発した会社で、出張で全国に行けるのいいなー、みたいな感じでした。自分もその頃にはバイクで全国旅していたので、なんとなくイメージができていたのです。で、不合格になり、そのまま抜け殻になった私は、夏に山陰地方九州四国のバイク旅に出ました。前の年の夏は北海道に行ったのですが、ライダーハウスと呼ばれる旅人の宿に泊まって、旅人との交流が楽しくて、いつか自分もやりたいなという思いを持っていました。旅を終えて、秋になり、そろそろ先のことを考えないとなーということで就活を再開し、上記の会社に就職したのです。
が、半年で退職することになりました。そもそも、写真制作に携わるといっても、写真の画作りにはほとんどタッチすることはなく、その写真を撮るために、どういう場所で、どういうスタッフを揃え、関係会社と連携して、かつ広告主からの予算内に抑え・・・.etcという、調整役が主な仕事だったのです。そのほかにも毎朝の電車通勤、理不尽な先輩、残業・・・会社員無理!となりました。辞めた原因はその仕事の面白さを見出せなかった点にあるのですが、その先の人生を描けなかったのも大きかったです。また、面白さを見出せない仕事で、先の人生も描けない中で、数々の理不尽に耐えることなど地獄以外の何者でもありませんでした。辞める前日の私をみていた唯一の同期の女子にも後日、「お前すげー顔してたよあの時」と言われましたね。辞めるまでにほかにも色々と伏線があったのですが、ある日現場に来ていたキャスティング会社の社長さんと話していて、「この人は自分で事業を立ち上げて楽しそうに仕事をしている。すげーなー、自分もそんな立場で仕事したいなー」などと軽率に思ってしまいました。では、何がやりたいか。ライダーハウスをやりたいのはあったけど生計のたつ商売ではない。会社員でお金貯まったら辞めて始めようかなーと思っていましたが、そこまで待つ必要があるのかな、と思い始めてから、辞めるまでのスピードは、下り坂を駆け降りる自転車のごとく。その先を目指して漕ぎ始めたのです。先輩からの理不尽に耐えることもできなくなったわけです。
で、何をやるか、ということですが、ライダーハウスをやるならほかに本業を持たなくては・・・資格だ!移住先で簡易宿泊施設をやりながら本業も持つ・・・なんとも欲張りな考えですが、この時なんとなく司法書士とかどうなんだろうと思っていました。
ただ、私のように会社組織の理不尽さに苦しんでいる方達を救いたい、困ってる人を救いたいという思いと、「まだ25だしやってみたらいいのでは」との父の進言もあって、弁護士を目指すことになりました。
東京駅の地下街のカフェバーで話したことを今も覚えています。
2年の専業浪人の末、上越移住 先にライダーハウスが実現
大学受験から7年、大学や大学院では研究探求の面白さにはどっぷりハマってしまったが、すっかり試験対策のための勉強というものを忘れていた私にとって、資格試験の勉強、それも最高峰の司法試験予備試験の勉強というのは正直よくわからず、とにかく映像による講義を進めていく日々でした。
会社を辞め勉強を始め1ヶ月が経過した11月、上越へ行きました。知人に物件を見てもらうなど移住の準備を並行させるためです。
そしてさらに1ヶ月が経過した2015年12月16日、実家のある大阪に帰還しました。勉強に専念できるようにという家族の配慮で、非常に助かりました。他方、7年も好き勝手に一人暮らししてきた私が今更実家で生活できるのだろうかという懸念もありました。そして後々苦しむことにもなりました。実家に出戻りというのは、楽な反面、自尊心の低下にもつながりました。自分は何のために生きて、誰の役に立ているのだろうか、など。
ちなみにこの日付は、私はもちろん、憲法の学習をする者にとっては印象深い日付でもあります。
最大判平成27年12月16日といえば、女子再婚禁止期間を規定する民法733条について100日を超える期間について憲法14条の定める法の下の平等に反するとして違憲判決が出された日なんです。
最大判の大とは最高裁判所の大法廷のことで、判例が変更される重大な事件について最高裁判所の裁判官全員が判断を下したということを示しています。再婚禁止期間というのは女性にしか存在しない規定です。そもそもの趣旨は、婚姻(結婚)していない男女の間に子供を妊娠したときに、その子供が誰の子であるかを推定する規定でした。子供を妊娠するのは生物学上の女性ですから、その女性が子の母親だということは確実なわけですが、その子が、その母親とどの男性との間に授かった子なのかを決める必要があります。妻が婚姻中に妊娠していれば夫が父親と推定されます(民法772条1項)が、婚姻していない時に妊娠した場合は、婚姻の成立の日から200日以内を経過した後か婚姻の解消(離婚)もしくは取消しの日から300日以内に生まれた子を婚姻中に妊娠したものと推定する(772条2項)としています。
ということは、婚姻を解消した後100日経って次の相手と再婚した場合(300ー200=100)、誰が父親であるかという推定が及ばなくなるという問題を回避することができるのです(文字だけではわからないかもしれません。数直線に書いて整理してみると「なるほど!」と理解できると思います)。
ところが再婚禁止期間は当時180日と規定されていました。100日あければ推定が及ぶのに、残りの80日間はなんなんだ。しかも男性は離婚した次の日にも再婚できるのに、男女間で不合理な差別を生んでいないか、男女平等に反しないか!ということが平成の初め頃からたびたび訴訟事件になっていました。そこで、100日を超える部分については違憲だという判断が下され、その長い戦いに一つの区切りがついた日が、平成27年12月16日なのです。しかも、この判例を受けて法律上も再婚禁止期間が100日に短縮されたほか、離婚の時に女性が妊娠していないか、妊娠していたが離婚後に出産したのであればすぐに再婚ができるようにもなりました。父親が誰かという問題が問題にならない場面だからです(そうとは言い切れない気もしますが、あくまで推定ですからね)。しかも現在はDNA鑑定などで誰が父親かを判定できます。そういった技術の進歩で法律の不都合を回避することもできるのです。
もしかしたら政治経済の試験問題で聞かれるかもしれませんね!
話を戻します。司法試験・予備試験の山場は論文式試験です。論文式試験は法律・条文規定の趣旨、規範といった盤石な基礎知識をもとに、問題の事例について結論を導く試験です。ただ覚えて吐き出す試験ではありません。その点では大学受験とはかなり毛色が違うわけです。しかも暗記中心のパワーゲームで早稲田に合格してしまった私は同じような勉強しかできず、今思えばかなり的外れな勉強をしていた日々でした。
2016年の5月に人生最初の司法試験予備試験を受けましたが、もちろん、散々な結果でした。
講座こそ受け終わっていたものの復習も追いついていないし、そもそも試験対策としての勉強の仕方を完全に忘れていた私は、誰かに個別アドバイスをもらったりすることもなく受かるわけがなかったんですよね。次の一年だ!と思いました。
ちょうど日本が混乱期に差し掛かっていた頃でした。すでに平和憲法の理念を脅かす集団的自衛権行使容認の閣議決定がなされた頃からきな臭かったのですが、政権に近い政治記者の性犯罪の揉み消したり、私がいた会社の親会社に同年入社した新入社員がハラスメントに耐えかね自殺したのを半年以上も隠蔽していたことが明るみになるなど、世が荒れ始めていた時期でした。その後も共謀罪の成立など、この国が少しずつ危ない方向へ向かっていることを学習のモチベーションにしたまでは良かったのですが、勉強方法が手探りな状況ですから、次の一年もよくわからない感じでなんとなく勉強を進めてしまい、2017年5月の2度目の受験も結果はあまり変わりませんでした。
そうこうしているうちに、27歳になりました。アラサーです。27にもなって実家で勉強だけしている状況が世間や同世代の人たちとあまりにかけ離れていることに、「取り残されている感」を感じざるを得なくなっていきました。
自分はこのまま一生実家で家族や一部の友人以外の誰とも関わることなく歳をとってしまうのか?社会経験も僅か半年で、とても社会経験とは呼べない状況で?そんなことを考えると、もうお先真っ暗でした。
そんな中、2017年10月、司法書士試験に転向しようと決断しました(これがまた甘い考えだった)。
というのも、夏に大阪から上越を訪れた際に紹介を受けた方から大阪でゲストハウスを作るので手伝わないかという話をいただき、また、民泊新法により全国で民泊営業が解禁されることが決まったりと、上越への移住が少しずつ見え始めてきたことと、やはり司法試験・予備試験のあの膨大な量を質高く学習するの、無理じゃないかという諦めの気持ち、そして雁木町家の空き家問題に直接関連した資格であるというのもありました。すると、移住への流れはさらに進み、2018年1月に「これだ!」という物件が見つかり移住を決意、3月に上越市民となり、多少の改修を経て7月に営業を開始しました。
知人の紹介やネットを通じ、需要の旺盛な時期を中心に入り始めました。もちろん民泊だけでは生計が立つはずもなく、学生時代からの知人のツテで、移住直後から土木植栽系の作業員(冬は除雪車関係)のアルバイトもしていました。
翌2019年は季節ごとに繁忙期があり、閑散期も旅人の宿泊などあり、とても賑わいました。ちなみに2019年は上越校の1年目で、また、私は某コミュニティラジオで2年間パーソナリティをさせていただいた、その1年目でした。
他方、司法書士試験はやっぱりうまくいきません。というかちゃんと勉強をやる時間が取れないくらいに忙しくさせていただきましたが、資格の件は有耶無耶になりかけていました。なおこの年の秋に結婚しました(唐突)。
もう一回やってみようと決意した2020年春
そんな中、コロナ禍になりました。前年までの賑わいが嘘のように、ピターっと民泊の予約がなくなりました。当然ですね、まだ得体のしれない恐怖のウィルスによる外出自粛、緊急事態宣言。憲法上どうなのかというマターもありました。上越高田は4月に観桜会があり、GWまで合わせると年間の売り上げの3分の1を見込める時期なのですが、それらが完全に吹き飛んでしまい、宿泊業の水物加減に気付かされました。私はなんと危ない商売をやっていたのだろうかと。
もっとも、塾の仕事が忙しく、ラジオの仕事もあり、この年も司法書士試験を受けるつもりでしたので、とりあえず民泊がなくなって空いた時間を勉強時間に充てることにしました。試験は7月なので、そろそろ願書請求をしないといけない時期でした。そんななか、4月のとある日、今につながる大きな1日となってしまいました。
またなんというタイミングでという話なのですが、まず司法書士試験の願書は例年都道府県の法務局本局に願書を郵送請求していました。ところがこれを面倒くさがって最寄りの法務局支局に直接取りに行ったところ、本局でしかお渡ししていないとのことで少し萎えていたところに、お世話になっている司法書士の先生から代理人業務における理不尽さの話などを聞いて、もやもやーとしていました。そしてその日の夕方はラジオの放送日で、2時間の生放送を終えた後、少し頭痛がしたのです。おまけにちょっと暑い。帰って熱を測ったら37度2分ほどありました。
これはまさか、感染した!?
結局これは一時的な知恵熱で、シャワーを浴びて一息ついたら36度台にさがり以後も平熱でしたが、熱が下がる前にこれを正直に放送局に報告してしまったんです。詳細は控えますが、この時、自分という人間は所詮会社組織にとって便利な駒でしかない、正社員でもないから(なりたくもないですが)都合よく切り捨てられる、と悔しさと同時に危機感を持ちました。国も混迷を極めてきている時代、自分にもっと力があれば・・・強い武器があれば・・・と
・・・・もう一回弁護士を目指そう!
揉め事からこの決断まで3時間もなかったでしょう。こういう日が来るかもしれないと、司法試験用の教材を移住の際に持ってきていました。箪笥の奥から引っ張り出してきました。その間大きな法改正があったりしたので新たなテキストも揃え、武田塾の勉強法「一冊を完璧に」を指針に勉強を開始しました。
実は、この決断は早稲田を目指そうと決断した高校1年生以来の自発的かつ積極的なものでした。
大学院進学は、学問の面白さにハマったのもありましたが、就職する決意ができなかったというマイナスの面も小さくはなかったですし、最初に弁護士を目指そうと決断したのも父の進言によるところが大きかったですし、一度諦めて司法書士試験に転向したのは「逃げ」の側面が大いにありました(まあ逃げ切れなかったのですが笑)し、バイクに乗るきっかけすらも当時の彼女でした。これまで自分のやりたいことは自分で決めてきたつもりでしたが、完全に自発的かつ積極的に決断したことは数えるほどしかないのかもしれません。
そうして翌2021年、数十年ぶりの大雪に見舞われた冬を越え、パーソナリティをしていたラジオ番組も3月で終了しました。この年も観桜会は本来の賑わいを取り戻すことはなく、したがって直前期も勉強時間を確保できました。
迎えた5月、4年ぶり3度目の予備試験受験。一冊をやり込むことの大切さが体に染み込んでいましたので、実家で浪人していた頃よりはやや得点が上がりましが、合格ラインには全然届く気配がありませんでした。
おかしいなあ、理解はしてるんだけどなあ。
しかも、予備試験の5月の試験は1次試験(短答マークシート)で、この後2次試験(論文式)、3次試験(口述式)に合格してようやく予備試験の合格となり、これでようやく司法試験本試験の受験資格を得ることができます。そしてその翌年の5月の司法試験に合格すれば、法曹となるための修習期間に入っていく・・・という長期戦、気が遠くなるような道のりの第1ステージすら越えられないままなのです。
そこで今一度やり方などの情報収集もした上で、次の1年は、論文式試験の対策をしながら短答式の対策もするという、学習の王道パターンをようやく理解・実践することができた・・・つもりでした。
2022年5月、通算4度目の受験でも得点はわずかに上がっただけでした。
この頃には敗因の分析力も上がってきました。確かに論文の勉強はしていましたが、過去問を解いて復習こそしていたものの、そもそも基本的な論点を各科目で押さえられていたのか、「論証」と呼ばれる必須スキルを身につけていなかったよねと。
手が回らなかったといえばそれまでですが、この頃には塾の仕事だけでしたから時間は比較的作れたはずでした。
それでもプライベートで結婚式をやったり、行政書士試験も併願したりと、言い訳を並べればいくらでも出てきますが、やはり根本的なところで、何が足りていないかの分析が足りていなかったんですね。
そもそも自分は大学受験は3科目。7科目プラス1プラス3科目の司法試験予備試験の対策は学習ペースの管理が難しかった。
少ない科目を頂点まで極める勉強はできても、倍以上の科目を深い理解を持って頂点のレベルに持っていかなければならない、大学で言えば東大に受かるような勉強、なかなかうまくいきませんでした。
そして何より学習環境。自宅では集中して勉強ができていませんでした。
そんな中、環境を変え、全科目個別論点の基礎学習から始め、その基礎論述の添削コースで合格者や講師に客観的に評価してもらう、次の一年をスタートさせました。
また、メリハリをつけるためもう一つ新しい仕事も週1〜2で始めることにしました。
今年140に届かなかったらもう辞めよう・・・
2022年11月に2度目の行政書士試験を受験しました。前年は結婚式の直前ということがあったものの、書き直した3問を書き直さなければ・・・というところで不合格となり、今回で絶対に合格する!合格しないとまずい!という強い決意で、9月終わり頃から行政書士試験の対策に入りました。
なお、行政書士試験の試験科目は憲法、民法、商法、行政法と法律科目では司法試験・予備試験と同じだったので、基礎学力の確認という位置付けで受験し始めたのがきっかけでした。時期も秋なので司法試験・予備試験受験生でペースメーカー的な使い方をしている方は意外と少なくないようです。
2度目でしっかり合格を掴み(2023年1月発表)ました。
基礎知識は定着したとの自信が少しつき、しかも司法改革の一環で、2023年から司法試験と予備試験1次試験は従来より2ヶ月遅れの7月中ばに実施時期がズレました。すなわち対策できる時間が例年より2ヶ月増え、前年に不合格になってから1年2ヶ月の時間があったわけです。今年は予備試験も勝負の年と位置付け臨みました。
これまで同様、短答式対策は試験2ヶ月前くらいから本格的にスタートさせることとして、それまでは論文対策をやっていました。論文式試験というのは、事例と問が与えられ、これを1科目70分で問題提起をし、論証・当てはめをしていかなくてはなりません。
例えば、犯罪を犯した者は捜査機関に逮捕されるというのは、テレビのニュースなどを見ていればよく目にしますよね。この逮捕手続きというのは刑事訴訟法という法律、ひいては日本国憲法にも根拠規定があります。
犯罪を犯した者と言っても、本当にその者が犯人であるかは、捜査をしてみないと確実なことは言えません。なので基本的に逮捕の段階では犯人ではなく、犯人である恐れが高い者であり、その者が逃亡したり証拠を隠滅してしまわないためにその身柄を押さえておく必要があります。これが逮捕の本質なのです。また、逮捕される者の人権を保障しつつ、真実を発見していくというのが刑事訴訟法並びに日本国憲法の規定の趣旨となっているため、例えばこの逮捕手続きが逮捕令状なく捜査機関の独断で行われたものであり、その逮捕に伴う捜索差押え(これ自体は適法)として被疑者の自宅を捜索したり、そこにある物を差し押さえたりと言った事情があるものであれば、捜索差押えを単体で見れば適法に見えるかもしれませんが、その前の逮捕が違法であれば、その後の手続きも違法なのではないか、という論点があります。例えば捜索で証拠物(例えば覚醒剤使用後の注射器)を差し押さえ、これを刑事訴訟手続きにおける証拠調べにおいて、適法な証拠として取り扱っていいのか、ということです。
こうした事情をまず問題文から抽出して、「本件覚醒剤使用後の注射器に証拠能力は認められるか」と問題提起をし、「違法な逮捕手続きに続く捜索差し押さえにより得られた証拠物の証拠能力は認められない」と規範を導き、本件の事例に当てはめをして、本件の場合は証拠能力が認められるのか、認められないのか、という結論を導かなければいけません。
これを7科目分、さらには選択科目、実務科目と計10科目対策をするのが論文式試験の勉強です。
なので、1年の中で学習の中心は論文式対策とせざるを得ないですよね。
短答式対策というのは論文式対策と重なる部分ももちろんありますが、短答式試験でしか聞かれないような単純な記憶問題などもあったりするので、短答式試験のための対策というのも別途やる必要があります。
2022年は5月に不合格がすでに分かり、そこから基礎論点の論文演習をやりつつ、秋には行政書士試験対策で1ヶ月半ほど論文式対策を中断しましたが、試験後に再開し、5月頭には基礎問演習を終え、5月いっぱいは論文過去問をやって、6月には短答対策を、というイメージでした。本当はもっとペースを上げなければいけなかったのですが、今年は基礎問を磐石にしたかったのです。というのも論文過去問は前年に7年分ほどを添削講座でやっていましたが、そもそもの基礎論点の流し方を習得しきっていない状態で取り組んでしまったため、個々の論点に対する理解が薄いまま、その複合体である過去問をやってしまったため、学力はそこまで上がってきませんでした。当たり前と言えば当たり前ですが、自分だとなかなか気づけないんですよね。そこで今年は基礎問演習をばっちり仕上げたものの、満足に論文過去問に取り組む余裕がありませんでした。そんな中、論文過去問演習を削って短答対策を前倒しにしました。
というのも、思っている以上に自分は短答式試験が苦手なのではないか、と考えるようになったからです。
今までを振り返ると、昨年なんかも、短答の過去問はやってたし、もっと点が取れたはずだ。でも、点が伸びない。
もちろん論文式試験対策は重要ですが、短答式試験を突破しないと論文式試験には辿り着けません。
そこで、改めて一つずつ分析・対策することにしました。
1番の原因は、時間管理ができていないということでした。
予備試験短答式試験は1日で法律7科目と一般教養科目の8科目受けます。
一般教養科目は夕方、法律科目が終わった後にありますが、出題範囲は大学受験の科目だが上位ランク程度に出題レベルは高い。45問から任意の20問を選択して1問3点。正直一般教養の対策をするのはコスパが悪いので多くの受験生はそこに時間を割いていないし、私もそこに割く時間はない。なので、法律科目で落とした分を穴埋めできたらいいくらいの位置付けで捉えています。
他方、重要な法律科目は、順に
民事(民法・商法・民事訴訟法)は90分で45問
公法(憲法・行政法)は60分で24問
刑事(刑法・刑事訴訟法)は60分で26問
つまりどの科目も単純計算で1問3分かけてはいけないことになります(もちろん瞬間的に解ける問題もありますが)。
とはいっても、1問解くのに3行以上ある選択肢を5つ全て読まなくてはならないのが原則だったり、「この見解からするとどういう結果になるか」といった暗記のみでは対応できない現場思考の見解一致問題・推論問題など、出題形式はさまざま。
もちろん、捨て問の判別ができれば、他の問題に多少時間を割り振ることはできますが、総じて時間がない試験なので、時間管理こそが大切だと改めて思いました。特に私はわからない問題を考え込む癖があったので、その結果、後の問題を解く時間がなくなるということが続きました。
なので、時間管理の訓練のために、初見の問題について時間を計って解く必要があると思いました。
そこで、短答模試・答練(どちらも形式は同じ)を受けることにしました。通常、答練は論文式試験で多用され、短答式ではあまりメジャーではないのですが、自分には必要だと、やれることは全てやろうの精神でした。
6月の上旬から毎週日曜日は答練(計4回分)、最終日曜は模試をやる計画で日程を組み、その間の6日間は日曜に見つかった課題点を克服する時間にしました。
重要な判例や条文に関連する問題は考えなくても正誤判定ができるようにならないといけないため、テキストの復習を全科目で行い、知識の穴を埋めていく作業をしました。
しかし日曜日が終わるたびに、打ちのめされることになります。3回目の答練以降は下がる科目もあり、なかなか上がらない合計点数に、絶望感を抱き始めました。
試験1週間前の日曜日にリハーサルを兼ねて実施した模試も結果は散々(科目別で見れば悪くはないものもあったが合計は良くない)でした。1週間後をイメージしながら、あるフレーズが浮かびました。
スガシカオさんの曲で『そろそろいかなくちゃ』というのがあるんですが、秦基博さんがカバーしたバージョンを学生の頃から聴いていて、その中の一節に
「ぼくにしか見えない ユメはもういい」
というのがあるんです。
私も33歳。若いと言えば若いが、そろそろ人生の幹を定めなければいけない、そのタイムリミットが迫っていると感じたのです。
予備試験の短答式試験は160点前後が合格点(2023年度は168点でしたが)。法律科目は1科目30点が7つ、一般教養は60点満点の計270点で160点前後必要なところ、私はこれまで120点台までしか取れていませんでした(2022年の得点は129)。
「これ今年も120点台とかだったらもうやめた方がいいよな・・・」と真剣に思いました。前の時とは違い、色々と試して結果が出なかった末の考えでした。
これまでを振り返っても、感情や直感で動くことが多く、どこか抜けてる自分にとって、一つ一つ趣旨規範を覚えてそれを元に論理的に結論を導く試験、多分向いてないんだろうなあと思いました。まして酒に浸った自分の頭、脳が退化している頭じゃもう無理なんだろうと。かといって酒を一切断って勉強を続けるという気にまではなれないことも分かっていました。
「今年140点に届かなかったらもう辞めようと思う」
試験1週間前の7月9日(日)の夜、妻に話しました。
妻は「自分の思うようにすればいいと思うよ」といってくれました。
仕事は他にもたくさんある。険しいけど、ダメだったら行政書士として道を拓いていけばいい。険しいけど。2024年問題が控えている運送業に就いてもいい、とにかく、いつまでもしがみついていても道は拓けない。
そして何年も受からないと自分の気持ちも持たないことに気づき始めたのです。
超直前期の過ごし方で点数は伸びる!
そうして迎えた最後の1週間。といっても前日の午後は移動なので残された時間は5.5日、1日に1科目費やすこともできないのですが、場合によっては今週で予備試験の勉強が終わるかもしれないと思うと、最後は悔いが残らないようにしたいと、今までで1番強く思いました。
また、本番で問題を見た時に「うわ、なんだっけ!」という状況で思考が停止してしまうので、その状況を回避するため、全科目を浅く広くみておく必要がありました。
そこで、まだ足りないかもしれないけどある程度基礎的なものは頭に入っていると自己評価し、得点が上がりやすい科目を中心に取り組みました。
テキストで復習をし、条文を読み、その分野の短答式過去問を解く。
また、試験前日・当日にさっと復習できる教材として、最後に見ておきたい知識などをまとめたノートを作っていました。
作るといっても、自分が読める程度の字で、箇条書きにしたり、条文と条文の関係を図式化したり、メモ集です。
この1週間は大好きなお酒も断ち、食事もただ胃の中に放り込むために食すという感じでした。
結果、自分でも驚くほど集中できた期間でした。結局やりたかった深さまで全部復習することはできませんでしたが、基礎的な問題は概ね全範囲網羅したといっていい程度には仕上げたつもりでした。
試験直前期としては過去1番の仕上がりで、過去1番の緊張感も持てていました。移動の新幹線でも自然とノートを見返したりしていました。前日の夕食は東京で食べたい好きなものを食べました(ガツンと満たしてくれる油そば)
寝る前の勉強では日中の暑さのせいもあってか頭痛がしたので、途中で勉強を辞め寝ることにしましたが、自身の大学受験の時にもなかった張り詰め方でした。寝る時も試験時間のイメトレをし、1問で考え込まないことを言い聞かせ時間管理の徹底を誓いました。
そして、当日は朝から凄まじい暑さ。駅前のお店で朝食をとり、往路はわざわざ乗り換えてより近い駅から極力歩かないでいい選択をしました(といっても15分ほど歩かなくてはならなかったので汗だくだったんですが)。
あまり早く着いても教室の中に入れなければ体力を消耗するだけなので、途中に乗り換え駅で会社線も変わるので地上に上がりスタバでデカフェ(カフェインが入っていない)コーヒーを飲み、店で六法を広げながら涼みました。
会場に着くとまず30分ほど体温と汗を落ち着かせる休息をとり、1時間目の民事用にまとめたノートを見返しました。
時間管理が最もタイトな科目が朝一番にあるので、ここでコケるわけにはいかなかったのです。
試験が始まってからは、解ける問題からといて、飛ばす問題は思い切って飛ばす、これを徹底しました。
直前期に点が伸びづらい商法会社法に関してはやはりあまり点が取れませんでしたが、民法と民事訴訟法はそれなりに取れました。今年は民法20、商法13、民訴18。来年は民法は最低8割、商法会社法も半分は取らなければいけないなと思いました。民訴も平均が5割ちょいであることを踏まえると8割欲しい。民事全体としては55%程度。来年は全体で最低でも7割、願わくば8割目標。
最初の90分がなんとか終わり少し安堵しましたが、次は番狂わせが起こりやすい公法。憲法の部分点ありの問題は完答で3点ですが3つの選択肢のうち1つ間違えると1点しかもらえず点が積み上がらない仕組みなので慎重に、行政法は3点配点の問題は4つの選択肢で1つ間違えると2点もらえるので、なんとか部分点を積み上げていけたらという作戦でした。憲法は現場思考問題がなくなり、ある意味番狂わせでしたが、私の得点にはあまり関係がなかったように思います。やや細かいなとは思いましたが。また、行政法は後半の3点問題で失点が目立ちしかも掠りもしない問題が2つもあったので、反省しました。憲法は21、行政法が13。行政法は平均点が10なので平均点以上でしたが、やはり5割はほしいところ。憲法も8割欲しかったので来年の目標。公法全体で55%程度。
昼休みを挟んで、刑事。怪しい問題もいくつかありましたが、時間のかかる問題は後回し、確実に得点できる問題から解くことを徹底した結果、刑訴は18でしたが刑法がまさかの13、平均点の18を大きく下回ってしまった。刑事全体で51%程度。
最後の一般教養は例年より簡単に感じたものの、ろくに勉強したことない理系科目では趣味や興味関心絡みでもなかなか点に結び付かず、30点。これでも一応過去最高ではあるものの、これをあてにしないのは来年も引き続き変わらない。
全科目終わり、帰り道は清々しい気持ちだった。
その時持っているものを全て出せた実感があったからです。
一番アツい1日になりました。
帰りは東京の路地を少し散歩しながら変わりゆく街を眺めていました。古い宅地がいよいよ取り壊されようとしていた。都心に残された古い家々の集落に、もう人影はない。崖の上と下をつなぐ階段だけが静かに佇み、よく街歩きしにきた街にも別れを告げました。
夜は移動し、もう一泊東京ですることにしました。今度は安さ重視で南千住の元ドヤのホテル。一人でお疲れ会と称し飲みに出たあと、部屋に戻り、恐る恐る解答速報を見ながらもう自己採点することにしました。
最終的に270点満点で145点。合格ラインが168点に跳ね上がったものの、前年と比較すると自分の得点は法律科目だけでも10点上がり一般教養で6点上がったことになります。
今回は過去1番の万全の状態で本番を迎えられたので、140点を切っても悔いはなかったし、心のどこかで「140点切ればある意味楽になれる・・・」とさえ思ったこともありました。
140取れなかったら辞めるとは言ったけれど、140取れたら続ける!とは言ってなかったこともあり、どうしようか少し悩みました。もっとも、悩んだと言いながら、すでに来年のことを考えていました。直前期の調整法をようやくつかめたので、そこまでの道筋をこの1年で自分でつける必要がある。
なので、まずは論文式試験でしかやらない選択科目の復習と、得点が伸びなかった科目の復習からはじめ、全科目論文演習をする。その繰り返しと、その合間にたまに短答式試験の対策も少しずつやって感覚を時々思い出す。
次の1年を最後の1年にしよう。
短答式に合格して論文式に落ちた場合はまた検討の余地があるが、それはその時考えればいい。
最終合格目指して最後の1年取り組んでいきたいと思います。
勉強以外の側面でも作戦・準備を万全に!
地方在住の場合、必ず遠征になるので前日の過ごし方はかなり大事でした。
試験日は7月の3連休、でも東京を試験地とした場合、会場が4つほどあり会場がわかるのは4月中ば頃にもかかわらずどの会場になるかは試験1ヶ月前を切った6月末に受験票が届くまでわからないため、宿の場所は山張りするしかありませんでした。どの会場になってもアクセスがそれなりにいい場所を4月に比較的安い宿を押さえました。結果として1本でアクセスできる会場になったのはラッキーでしたが、前もって作戦を立てておくことは本当に大切です。
7月の半ばの東京、雨か暑さが予想されます。私は極度の暑がりなので、できるだけ汗をかかないために宿は駅から近い場所、周りに朝食が食べられるお店があるか、夜は静かな環境か、などまで徹底しました。
(この観点で言えば、来年は東京会場でなく1次試験は仙台会場でもいいのかなとか思ったりもしました。もう車で行っちゃえ!会場は1つだから宿も押さえやすいし、地方だから安い!帰りに牛タn・・・)
また、持っていくものも選定しなければなりません。
神経質なところがあるので枕は昨年から持参していました。あと、普段の環境に近い部屋がいいと思い、畳の和室のあるビジネス旅館に泊まりました。また、試験会場の教室の椅子が木の板だと尻が痛くなるので座布団を今回持って行きました。あとは温度調整できる服(麻生地のボタンシャツ)、トイレで手数を減らせる腰がゴムのズボンなど。
暑い季節ですので、昼食を入れておく保冷バッグと保冷剤も忘れてはいけません。
そして当日の流れは直前期にのふとした時などにシミュレーションします。
前日の夜は何を食べるか、どこで試験の時の昼ご飯を買うか、どこで朝食を食べるか、何分の電車に乗るか、改札に近い階段はどこか、夏なのでできるだけ体力を消耗せずに会場に到達するにはどういうルートがあるか、トイレ回数が増えるのでコーヒーは飲まず、ガムやチョコで眠気を飛ばし集中力維持、昼ごはんは空腹を抑えつつ決して満腹になってはならない、トイレは直前にもう一度行っておく、など。
最後は、これまでの自分を信じて試験問題に真摯に向き合うことです。
さあて、ここまで長々とお読みいただきありがとうございました。何らかの形で参考になればいいのですが・・・
自分としても総括として、来年に向けた目標や計画を立てるのに整理になりました。
そして、直前期の過去問演習のやり方や復習などを中心に、校舎の生徒に還元できればと思います。
大学受験は冬ですので、重ね着できる服装、逆に暖房で昼食が温まりすぎていたまないように保冷剤を持参するか、とか、もっと大切なところで言えば、併願校の受験日程をどうするか!これとても大事です!
特に併願校の合格発表日と本命校の受験日との関係も大切です。
いかに精神を落ち着かせて自分の持っている力を発揮させられるかで、合否は変わります。
受かれば進学するつもりのある大学を一つ押さえているという精神安定剤は絶大です。
私の大学受験の時も、一つ合格がわかった翌日に本命校の試験があったことが合格につながった要因の一つだと思っています。
というところで、暑い日々が続きますが、あと半年!定期的な過去問演習をしながら駆け抜けて行きましょう!