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【勉強が苦手なあなた!】まずは全体像をつかもう!ミクロとマクロの使い分け【上越 塾 個別指導】

こんにちは!上越校講師の町です。

皆さんは苦手な科目ありますか?私は現役時代、苦手科目だらけでした。

数学、物理、化学、生物、現代文、体育・・・(最後いらない)

あなたのその苦手科目、そのまま放置していいですか?

私は苦手科目からの逃亡を図るため、私立文系を選択しました。受験科目から排除したのです。

私立文系だと英語と国語、社会系の選択科目(私は日本史でした)で受験ができます。

したがって数学、物理、化学、生物、などは放置していました。

 

しかし、私は文系選択のくせに現代文が苦手でした。なので現代文は克服しないといけないと思い、対策をしていました。その対策が功を奏したのかはわかりませんが、なんとか第一志望の大学(の別の学部)に合格できました。

もっとも、私は英語と日本史が大得意だったので、足を引っ張る国語を少しカバーできたのかなとも思っています(入試の成績開示をしなかったので真相は謎のままです。。。)

 

ただ、そんな勉強法をとっていた私は今、資格試験でとても困っています。

資格試験は苦手科目を作ってしまうと厳しいです。満遍なく出題されるからです。

資格試験は合格した後、実際試験で出題された知識をもとに仕事をしなければなりません。

そのことからも、バランスの良い勉強・知識が求められます。

 

で、大学受験に話を戻しますが、大学入試における科目ももれなく1つ1つが膨大な量です。

英語国語などは際限がありません。語彙レベルや文章量、選択肢を調整すればあらゆるレベルの問題を作ることができます。

数学や社会、理科系科目も気が遠くなるような量があります。考えただけで気が滅入ってしまいそうですね。

 

万能極意!ミクロとマクロの視点

そんな時に試して欲しいのが、全体像(マクロ)を把握するということです。

この全体像(マクロ視点)は、自分のゴールを目指すにあたりその道しるべが書き記された地図です。

道に迷ったら立ち止まって地図を確認する行為と同じです。

勉強を進めているとついつい入り込んでしまい、広い視点が持てなくなります。ミクロの視点になってしまっているのです。

何も勉強だけではありません。何か作業に取り掛かっていると、ついついのめり込んでしまって時間も忘れて没頭してしまう。

ミクロの視点を持つことそれ自体は素晴らしいことなのです。研究者や専門家は往々にしてそのミクロ分野で活躍されています。

しかし、勉強において、しかも行き詰まってしまった時には、少し広い視点に戻ってこなければいけないことがあります。

英語を例にしましょうか。

英語の長文を読んでいて、みたこともないような単語もしくはみたことあるけどよく覚えていない単語に遭遇しますよね?その単語に気を取られていると、その先の文章に進めなくなるか、あるいは進めたとしても文章の内容を理解できないまま文字面だけを読んで終わってしまうことは受験生によくみられることです。

ですが、単語の一つや二つわからなかったからといって、文章全体がわからない、なんてことはほぼありえないです。文章には文脈というのがあり、文脈から推測することができます。その単語のみならず、周りの単語、意味段落などから、なんとなく推測できることが多々あります。

時々引いてみる、ということです。

英語もそうですが、歴史でも使える方法です。その時代の出来事としてみていると、それぞれの時代の出来事としてしか認識できませんが、別の時代でも同じようなことが位置付けの出来事があったと認識できれば、それは単なる事実としての知識から教養に変わります。

日本で古代〜中世に興った宗教宗派を見てみると実に興味深い発見があります。

一つ一つ別々の知識として覚えるのは文化史の辛いところですが、それらを一つの流れとして認識できれば暗記の大変さもかなり軽減できるのです。これは歴史系科目攻略の重要ポイントです。

引いてみるといろんなものが見えてくるのです。

こんなところにもミクロとマクロ

人生でもそうではありませんか?

「ああ、あの時の自分の行動、感情的になってしまったけれど、客観的に見たら自分にもかなり非があるよなあ」とか、好きな相手にアプローチしているときはついつい盲目的になってしまいがちですが、後から振り返ったら小っ恥ずかしいことしてたんだなあとか。

こういう場合は時間が経つと少し客観的になれたりしますが、行為当時はなかなか難しいものですよね。

でも他人の行動については客観的にみることができるのがほとんどだと思います。

それは一歩引いたところから見ているからです。

 

今話題の東京オリンピックもそうではないでしょうか?

客観的に見れば、(背景には様々な問題を含んでいますが現在の最大トピックとしては)まだ新型ウィルスの収束のめどがつかず、国民には引き続き過度な外出移動宴会の自粛を強いるなどする中、より規模の大きな大会の開催を強行しようとしています。

ワクチン接種も割合としてはまだ多くなく、医療体制も十分に確保できていない。そんななか、とりあえず五輪で何かが起きれば医療従事者はそちらへ動員したい、という考え方など、まさに物資や人員が不足した中で国民を総動員して惨敗した80年前の愚行の再現ではないでしょうか(あくまで歴史観の一つとして認識ください)。

今回は国によっては参加しない国もあり、国内の聖火ランナーも続々辞退するなど、明らかにこの状況下での開催には逆風が吹いています。不参加表明国や辞退した聖火ランナーたちはこの状況を客観的にみることができているから、そのような判断ができるのでしょう。

では、政府をはじめとした主催者側はどうでしょう。彼らの動向を見ていると、商業イベントではある点を差し引いても非常に近視眼的な視点のみで意思決定がなされているように見えます。

彼らは「どうしてもやりたい」という強い思いを持っているから強行しようとしているのであって、まあ天秤にはかけているのかもしれませんが、物事を引いてみることができていないと言えるでしょう(もっとも、引いてみた上であえて開催を強行するというのであればすみません、私の理解が追いつかないところにいらっしゃるようです)。

ミクロとマクロ、主観と客観

このように、一歩引いてみるという技術は生きていく上でも持っていなければならない技術なのです。

もっと言えば、大学受験も長い人生のほんの1年とみることもできますし、大変であることに変わりはありませんが、人生ではもっと大変なこともたくさんあるから大したことない、とみることもできます。ナメてかかってはいけませんが、気負いすぎるのもよくありません。

ミクロとマクロの視点は主観と客観という視点とも親和性が高いと言えるかもしれません。

ミクロとマクロ、主観と客観といういずれの視点も、勉強において万物においてとても有効な考え方であり、技術です。

この意識で問題演習するだけで文章の把握力・問題正答率が上がるかもしれません。

現代文の文章など、まさに引いて寄っての繰り返しではないでしょうか。このことに私も気づいていれば、受験時代苦労することもなかったのかもしれません。

 

 

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