武田塾出町柳校の校舎長はどんな人?自分で紹介します!
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こんにちは!
左京区の京阪「出町柳駅」から徒歩2分のところにある、学習塾・予備校の武田塾出町柳校の平井です!
今回はですね
武田塾出町柳校の校舎長である私、平井がですね
どういう人かというところについて
自分自身で紹介していこうと思います。
出町柳校って結構外から見えやすいところにありまして
まあ私のことも外から普通に見えるんですけど
見えるがゆえに私という人間のことを知っていないと
逆に入りにくいというか警戒するというか。
皆さんも塾決めるときにそこの校舎長の人柄だとか
信用できるかどうかだとか
こういうところ結構重視すると思うんですね。
なのでこの記事でですね
自分で自分のことをバギバギに紹介し倒していこかなと思います。
1,幼少期~小学生時代(底を経験)
まずですね、私は滋賀県で爆誕しましたと。
長浜っていう
ファンタスティック田舎の中でもまだギリ都会みたいな
こういうところで生まれて
自然豊かな土地でのびのび育っていましたと。
んで小学校に上がると同時に滋賀県の大津に移住します。
この小学校時代にですね
平井少年は初めて人生で大きな底を経験しますと。
小学校4年生まではですね
ピアノやって体操やって水泳やってサッカーやって成績もトップで
文武両道の体現者みたいな
こういう存在だったんですけど
小学4年生の時にその習い事をほぼすべてやめさせられて
塾にぶち込まれますと。中学受験もしないのにですよ。
またこの塾がですね
今だとあんまり考えられないんですけど
ゴリゴリ恐怖で押さえつける系の塾でですね
授業中寝てたら机ごと膝蹴りされたり
名前の字が汚いという理由で目の前でテスト破られたり
宿題忘れたら真冬に外で裸足で立たされたり
まあそういうエキセントリックな塾でしたと。
とにかく辞めたかったんですけど
親の圧力すごすぎてやめられなかったんですね。
その上ですね
運動を全てやめたのと、めっちゃ太りやすい体質ってのもあって
一気に太りましたと。
小学校では速攻いじめの対象になるわけです。
勉強は得意でしたし半強制的にやらされてたので
成績はトップだったんですけど
学校ではいじめられて
家では勉強しろだのあそこの家のあの子はどうのこうのだの言われ
塾ではゴリ詰めされ
小学校の最後の2年間は地獄でしたと。
2,中学~高校時代(暗黒期からの覚醒)
まあ地獄の小学生時代を乗り越え
中学生に入って、思春期を迎えますと。
ここのところでですね
小学校時代の反動でめちゃくちゃグレましたと。
荒れてる中学の人達とつるんでですね
学校でもたびたび問題を起こしてしまい
家でも常に学校から電話があり
ついには母親が泣きだしてしまうくらいにはグレていましたと。
今思えば本当に申し訳ないと思いますが
当時はそれくらい自分を押さえつけていた大人に対して
反発していましたと。
ただ塾だけはやめられなかったんですね。
これ何でかっていうと、父親ですね。
ほんとに唯一かなわなかったのが父親で
ほんまに人間か?ってくらい腕っぷしと威圧感が強くて
ねじ伏せられてましたと。
そのおかげもあって鬼スパルタ塾に高校受験が終わるまで通ってました。
高校受験
強制的に勉強させられてたのもあり
京都の大谷高校に進学します。
公立で滋賀県最高峰の膳所高校も受験してたんですけど
内申点が低すぎて無理でしたと。
膳所高校って合格開示が高校ででかい紙に貼られてそれを見に行くって形なんですけど
私落ちた後も落ち込まなさすぎて
それで勘違いした琵琶湖放送の人が合格者インタビューしてきたんですね。
落ちてるのに合格者としてインタビューしてるのが
滋賀県全域に放映されましたと。
格闘技との出会い(自分で学ぶ大切さを知る)
大谷高校でのキラキラスクールライフが始まるんですけど
私バダビアのマスターに入って
バスケ部に入りたかったんですけどマスターは入っちゃだめで断念するしかなかったんですね。
そこでですね、昔から興味のあったキックボクシングを始めます。
グレてたのもあって腕っぷしにも自信をもってて
「まぁ俺最強だろ(笑)」
みたいな感じで入会してすぐ練習試合したんですけど
やさしそ~な普通の会社員のおじさんにフルボッコにされたんですね。
面白いくらいボコボコにされて自分の小ささを知りましたと。
んでこれ部活じゃなくて一般のプロジムなので
手取り足取り教えてくれないんですね。
自分から聞きに行くか見て学ぶがしないとダメっていう環境で。
そこで初めて「強くなりたい」という意思をもって
「自分から学びに行く」ということを覚えましたと。
3,大学受験(独学で覚醒)
無事格闘技のおかげでグレた人生から脱却した私は
大学を志すことになるんですけど
色々あって大学受験の勉強をし始めたのが高校3年生の10月なんですね。
志望校が関大の法学部で
当時の偏差値は英語が60後半
国語世界史が40ギリギリ行くか行かないかくらいでしたと。
高校の先生には絶対無理と言われて
わざわざ親にも絶対無理というのを伝えるためだけに三者面談組まれましたと。
それが悔しくてですね、学校の先生にも塾にも頼らずに受かってやると
自分ですべて独学で受かってやると決めたんですね。
そこから自分なりに考えて勉強しまくって
現役で合格することができたんですね。
ここでですね
「独学が最強」「独学で全然勉強できる」
という事に気づきます。
4,大学生時代~現在(大企業→起業→失業)
晴れて志望校に合格してですね
関西大学で過ごした時間は楽しかったですと。
好きな格闘技にも存分に打ち込んで
法学部に属しながら心理学の大卒程度の資格も同時にとって
独学の経験を生かして塾講師として4年間アルバイトもしました。
色々な経験を通じてですね、勉強に限らず
「自分で学んでいく」ことの大切さを
より強く感じるようになりましたと。
大学卒業後は皆さん1回は行った事があるであろう
ユニクロに新卒で入ったんですけど、半年で退社します。
行動力ばっかりあったので、起業したんですね。
まあ社会も知らない22歳が何の準備もなしに勢いで起業したので
速攻失敗しますと。
大学の4年間でコツコツ貯めたお金+ユニクロで半年ためたお金計200万が
3か月でゼロになりましたね~。
再度就職活動をしている時に
「次は会社の規模とか関係なく自分の好きな仕事をしよう!」
と思い、塾に絞って就職活動をしていました。
そんな時に武田塾の存在を知ります。
今まで私の中の塾のイメージは
「とにかく押さえつけて知識を教え込む場所」というもので
それが嫌で「自分で学ぶ」方法を教えたいという事で
講師の裁量が大きい個別指導塾でアルバイトをしていました。
それを仕事にしたいなと思ってたところに
「自分で学ぶ」ことに重きを置いている武田塾に出会ったんですね。
速攻面接を受けてですね、内定をいただいて
今出町柳校で校舎長をしているっていう。
これが私、平井の軌跡ですと。
5,さいごに
いかがだったでしょうか!
今回は出町柳校校舎長の私について自分で紹介しました。
グレた時代も大企業も起業も失業も
私の年齢ではあまり経験しないようなこともたくさん経験して
いまここで校舎を運営してます。
「自分で学ぶこと」「失敗を恐れずチャレンジすること」
の大切さを伝えられればなと思ってここにいますと。
出町柳校をですね
「成績アップや受験合格だけでなく自分で考えるというスキルを身に着けられる場所」
にしたいと考えていますと。
ぜひ出町柳校で一緒に勉強していきましょう。
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出町柳校では、随時無料受験相談を行っております。
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