こんにちは!調布駅から徒歩5分!逆転合格「武田塾調布校」のO講師です!
もうすぐそこに冬の気配を感じるのにも関わらず、なぜか我が家にはまだ蚊が生き延びています。
耳元で羽音を奏でられるのでここ最近は寝不足です。今日、蚊を退治するスプレーを買ってこようかと思います。
今回は、ハンナ・アーレントの名著『人間の条件』の内容を少しでもわかりやすく説明していこうと思います!
なぜこのような試みを企てたかというと、先日の某塾の模擬試験の現代文で、この本の内容についての出題があったからです。
そしてこの本が、たまたま家に置いてありました。
同居人が読んでいたらしく、勝手に借りて読んでみたところ、非常に興味深い考察が多かったです。
調布校の生徒は、結構苦手としている文体だったらしく、実際に点数が振るわない生徒も多い印象を受けました。
確かに、あのような抽象的な議論は読んでいて頭に入ってない感じがしますよね。
ですので、「わかりやすさ」と「問われやすさ」に重点を置いた説明が今回の目標です!
だいぶ内容を削ぎ落とし、言葉も変えていくつもりなので、著者の意図を汲めていない部分もあると思いますが、そこは悪しからず。
「興味が湧いた!」「もっと深くまで知りたい!」
と思った方は、原書を読むか、もっと詳しく解説しているサイトに行ってみて下さい!
生活の区分
アーレントは、まず「生活」を二つに区分しました。
まず一つ目が「観照的生活」です。
これは哲学的な真理を追求する生活です。
少しわかりにくいですかね?でしたら、「修行」をイメージしてみて下さい。
お坊さんが山に籠り、世間とのつながりを断ち、質素な生活を送りながら修行に勤しむ。
そして修行によって、世の中の真理、悟りを得ようとしています。
この世の真理だったり、悟りというものは目には見えませんよね。
まあ、端的に言えば目には見えない自分の内面、精神を見つめ直したり、考え続ける生活ということです。
続いて二つ目が「活動的生活」です。
ここで用いられている「活動」という言葉は
「休日は必ずどこかに遊びにいく!」とか、「毎日ランニングしています!」といったようなことではなく、
食事や睡眠、出勤や友人との会話など、すべての行動をひっくるめたものです。
つまり、観照的生活が目には見えない精神世界を中心とした生活
活動的生活が私たちが知覚することができる現実世界を中心とした生活
というような区分になります。
活動的生活の区分
そして先ほど挙げた活動的生活を、アーレントはさらに三つに区分します。
それは「労働」「仕事」「活動」です。ひとつひとつ説明していきますね。
まずは労働についてです。
これは「生存のための消費財の調達や生産行為」のことを指します。
縄文時代の人で言えば狩猟採取。弥生時代以降の農民からすれば耕作や栽培など。
現代の我々でいうとアルバイトや会社での勤務ですかね?
続いて仕事についてです。
これは「作品を生み出す制作行為」のことを指します。
少しわかりにくくなってきましたね。「労働と仕事、どう違うんだ?」と感じるのも無理ないです。
あとでここの区別はしっかりしていきます。
仕事については、現代の我々でいうところの芸術家や建築家など、何かものを残すことができる職業をイメージして下さい。
そして活動についてです。
これは「他人との交流によって固有性や独自性を認め合う行為」のことを指します。
要は人間交流です。
例えば、あなたが自分以外のものを知らない場合、自分がどのように他人と違うのか、どのような人間なのかはわからないと思います。
他人と関わり、「私はこういう考えを持ってるけど、あなたはそういう考えなのね」と交流を繰り返していくことで、私たちは自分を認識していくわけです。
最後に、労働と仕事の違いについて書いていきます。
労働にはマイナスなイメージを、仕事についてはプラスのイメージを抱くくらいでちょうどいいと思います。
労働は、私たちが生活する上で、嫌でもしなければいけないことです。
「バイトだるいなあ」「会社辞めたいなあ」と思っても、多くの人は続けなければ生きていけませんよね。
対して仕事は、ある種のやりがいや誇りを持てるものです。
自分のやりたいことや表現したいことに金銭的な価値がついてくる、または順番は逆でも大丈夫です。
近代社会への批判
これらの前提条件をもとに、アーレントは近代社会への批判を展開していきます。
中世以前は、活動が重視されてきた時代であり、労働は軽蔑の対象でした。そのため、労働には奴隷を従事させています。
ただ、キリスト教が広まっていくにつれ、「生命」の重要性が上がっていきます。
それに伴い、生命維持に必要不可欠な労働が地位を上げ、軽蔑の対象から聖なる義務へと変わっていきます。
そしてもともと労働より上の地位を占めていた活動、仕事が労働に隷属するようになったのです。
親御さんや教師が「夢ばっか見てないでまともな職業ついてくれ!」というのも、労働を一番の基準に置いているからですよね。
中世を乗り越え、近代に入ると、国民国家が形成されていきます。
今までのふわっとした国という概念とは違い、国境や法律などがきちんと決められた国家です。
国家を運営する上で、税収は欠かせませんよね。税収を得るためには、国民には労働をしてもらわなければいけません。
この時に社会という概念が生まれます。
多くの人はこの社会に属しながら生活を送っていくのです。
キリスト教の広まりから始まり、国民国家の成立により、以前にも増して労働の重要性があがっていき、活動や仕事の重要性が下がっていきます。
では、活動や仕事が労働の中に画一化されることで、どのような問題が起きるのでしょうか?
アーレントは、全体主義への傾倒の理由をここに導き出しました。
「いきなりなんで全体主義?」と思った方がいらっしゃると思います。
全体主義を知らない人は自分で調べましょう。
実はアーレント、ドイツ系ユダヤ人です。自身も迫害を受けてアメリカへと亡命をしています。
自身の体験や考えをもとに1958年に出版したのがこの本なのです。
ここからはどのように全体主義に傾倒していくかを書いていきます。
なぜ全体主義に?
まずは活動についてのおさらいです。
活動は他者を介することで自分の独自性を認識していく作業でしたよね。
活動によって「自分」を認識するのです。
しかし、その活動は労働によって少なくなっていきます。
そうすると、自分のことを認識する機会が減っていきますね。
自分の考え、主張というものがなくなっていきます。
その代わりというのもなんですが、彼らは社会に属しています。
社会は国のトップの人の考えをもとに進んでいきます。
自分の考えがないところに、自分の属する社会の考えが入り込んでしまうのです。
そして一番最初に話した鑑賞的生活がここで登場します。
このような生活を送ることで、自分たちの生活や考えではなく、抽象的な、一貫した論理を求めるようになってしまいます。
国のトップが、論理が一貫している説明をすると
「論理的にあっているからこの人の考えは正しい!」
と、疑いもせずに信じてしまいます。
そうすることで、その社会に属する全員が同じ思考を持ち、歯止めが効かなくなり、全体主義へと向かっていくと述べられています。
アーレントはこの全体主義への対抗策として、活動の重要性を述べています。
活動をすることで、他者との関係性を築き、己を認識することで、人は全体主義に対抗する影響力を持ち始めるそうです。
最後に
いかがだったでしょうか?
読み進めていく上で、活動、仕事、労働の分類の定義や、労働への神聖視について非常に興味深い考察だなと感じました。
このブログが皆さんの模試の復習に役立てば嬉しいです!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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