みなさん、こんにちは!
北海道千歳市、JR千歳駅から徒歩2分の塾・予備校
武田塾千歳校の黒飛(くろとび)です。
今回は、前回のブログの続編になります。まだ読んでない方は、こちらを先にご覧になることを推奨します。
大学~大学院進学編
大学に入学したとき、絶望感の嵐でした。
一般的には高学歴と認知される大学に入学していたのですが、
「自分はなぜ早稲田ではなく、こんなレベルの低い大学にいるんだろう」、「再受験したいけど2浪は親が許してくれない」、「仮面浪人なんて器用なことができるわけでもない」、「大学受験も頑張り切れなかったような怠惰な人間が教員になって人前に立つのはおこがましい。教員を目指すのはやめよう」
そんなことを考えながら無力感でいっぱいになっていました。
そうした生活を変えるきっかけが部活動でした。硬式ソフトボール部に入部し、久しぶりに野球に近しいスポーツを行うことになりました。
そして、1年生が終わるころ、部活動の先輩方がマネージャーを含めて全員大手企業・有名企業に進路を決めていました。「この大学でも有名な会社に行けるんだ」そう思うと少し心が晴れたのを覚えています。
そうして部活動とアルバイトに明け暮れる日を過ごしていた大学2年生の冬、人生の転機がまたしても訪れます。大雪でグラウンドが使えなくなり練習が休みになった日、高校の同級生が就職活動で東京に来ているので会おうということになりました。会った友人は2人です。
1人は中国地方の国立大学に進学し、アルバイトをしながら既に公認会計士試験に合格していました。公認会計士にはなる気がないようで、一般企業を中心に受験するようでした。
もう1人は中国地方の無名な私立大学に進学していましたが、3年次編入試験で関西の有名私立大学に進学していました。総合商社と経営コンサルを中心に就職活動をしていると聞きました。
2人に出会い、黒飛の心に変化が起こります。
自分は浪人してまで東京に来て、高い支出を家族にさせているのに、講義はロクに出席せず、部活動とアルバイトしかやっていない。地方の実情も知っており、首都である東京の実情にも詳しくなったからこそ、自分にしか成しえないことが何かあるのではないか。
そう考え、大学内では賢いほうだと思っていた自負もあり、当時は難関だった国家公務員総合職試験を受験することを決断しました。周囲の友人からの反応は様々で、「この大学からじゃ受からないでしょ」「黒飛は今まで会ったことがない人種だから受かると思う」など、意見が真っ二つに割れている状態でした。このような経験から、やりたいことなんて少しのきっかけで見つかったりする。勉強しかしてない高校生なんてやりたいことを見つけるのが難しいのなんて当たり前。そう考えるようになりました。
なお、受験に際して、早稲田にある公務員予備校を使うことにしました。立地上、早稲田大学や一橋大学の学生が多く在籍していました。
公務員予備校では、自力では辿り着けなかったであろう合格するための得点戦略を教えてもらいました。この情報だけでも、日頃の勉強に優先順位をつけることができます。また、答練と呼ばれる模擬試験のようなものを受けるのですが、憲法の答練で5回中3回1位をとりました(1回欠席、1回2位)。一橋大学や早稲田大学の学生を超えての1位ということもあり、多くの受講生が勉強方法や使っている教材について質問をしてきました。本当に勉強ができる学生こそ、そうした情報に敏感にアンテナを張っていることを実感しました。
試験を控えた2ヵ月前、大学受験の悪夢が頭をよぎりました。同じ轍は踏まないことを決め、最後の最後まで根詰めて勉強をしました。
(公務員試験は人生がかかっている就職試験なので、直前期の精神的なストレスはそれまで受けた試験の比ではありませんでした。試験1ヵ月前からは毎日歯が折れる夢や、歯が抜ける夢をみていました)
一次試験当日の朝、「自分は何で今から落ちるために試験を受けに行くんだろう。行くのやめようかな」と考えていました。大学受験に失敗して以来、試験で成功するビジョンを描けなくなっていました。それでも何とか会場に辿り着きました。午前は専門科目(法学)の試験がありました。試験が終わった昼休みに、迷った2つの問題の答えを調べたところ、両方とも失点していることがわかりました。受験生の皆さん、休憩時間に前に解いた科目の答え合わせは絶対にやってはいけません。覆水は盆に返りません。百害あって一利なしです。黒飛は精神的に厳しくなり、お昼の休憩中に、おにぎり1個とお茶しか喉を通りませんでした。ただ、午後の教養科目は簡単で、できた手ごたえを感じて帰宅。その日は18時台には疲れ果てて寝ていました。
自己採点すると、予想合格ボーダーをはるかに上回っており、開示された結果も合格。2次試験も難なく通過しました。自身の大学の文学部から、法律区分で国家公務員総合職試験に合格者が出たことは史上初だったようです。この合格が自信となり、大学入学時に抱えていた学歴コンプレックスが完全に解消されました。また、公務員試験は、法学や経済学などの社会科学だけでなく、数的処理や文章読解など自然科学や人文科学も課されるため、抜け落ちていた数学などの知識を補完することができました。
ただし、ここで問題が発生します。
学生時代に天下国家を学友と論じてきたような最難関大学の学生たちに比べて、自身の政策的な思考力が浅いことに気がつきます。そこで、政策に関する専門性を身に着けたいと考え、大学院への進学を決意しました。なお、民間の世界を一切みないのは視野が狭まると思い、企業が行っている秋採用の就職活動も行いました。
有名大学+体育会系+国家公務員総合職試験最終合格という名刺で戦い、企業からポテンシャルを高く評価されたのか、今振り返ると雑な志望動機でしたが、受けた企業からは全て内定を貰いました。ただ、「大学院に進むから内定辞退する」と企業に伝えたときは…いろいろ言われましたね。
そして、公共政策大学院を複数受験し合格したのですが、その中でも最もカリキュラムが優れていると感じた宮城県の大学の公共政策大学院に進学しました。大学院は2年間しかないので、修士1年のときから積極的に就職活動を行わなければなりません。そして、就職活動をしていると、あることに気が付きます。
元々いた大学からでは到底内定を得ることが難しい平均年収1,000万超の企業のインターンシップに簡単に通過する
宮城県で説明会を広く開催するという建前だが、実際に参加している学生の大学が特定の2校しかない
インターンシップに参加すると、一定ライン以上の大学の学生しか会場にいない(具体的にいうと、学部時代に通っていた大学と同ランクの学生がいない)
ここまでいうともうお分かりかと思いますが、企業は学歴によって学生を区別します。最終学歴は新卒の就職活動において本当に重要です。中身をみられる前に人材としての選別が始まってしまいます。
また、公共政策の立案手法について学んだものの、好待遇企業からのオファーや、大学院在学中に祖父が他界した際に相続税を国にイヤというほど徴収された経験、いわゆるエリートと呼ばれる若い女性が過労のために自ら命を経ってしまった事件などから、日本国のために人生を賭けて働きたいという意欲は薄れていき、待遇のよい民間企業への就職に志向が移っていきました。
そして就職活動終了時、外資コンサル、総合商社、日系金融機関から内定を得ていたのですが、企業が表に出していない福利厚生面などを総合して計算した結果、最も実所得が高かった日系金融期間に進路を決めました。こうして隠されている情報も、OB・OGが有名企業に多くいる大学に在学していれば入手が容易です。
新卒社会人~2度目の大学院進学編
新卒で入った金融機関では、システム開発の部門に配属されました。そして、約2ヵ月ほど、お給料を貰いながらプログラミングの勉強をしていました。プログラミングは初めての経験だったのですが、 英語や数学の知識を生かすことができます。このように、学校で習っている知識は、社会に出ても活用する場合があります。あのとき必死に勉強していれば…なんてことにならないようにしましょう。
社会人1年目は、本当にダメな人材だったと思います。報告・連絡・相談が的確にできない、予定に入っていた会議をすっぽかす、作業効率の悪さから他人より時間がかかって残業をしてしまう、など、挙げていけばキリがありません。就職活動が上手くいき、大学院生だったときに持っていた万能感は消え去りました。
ただ、現在振り返って思うことですが、社会に出たばかりの人は、何かしら壁にブチ当たります。そのとき、苦しくても努力を継続した経験や、苦手なことがあってもそれに向けて正面から立ち向かった経験があれば、踏ん張ることができると思います。社会が発展し、細かな知識はインターネットで調べれば参照できる現代において、大学受験に向けて知識を蓄えて努力する意義は、ここにあるのではないでしょうか。
社会人2年目からは、業務知識も増えていき、できることがどんどん広がってきて仕事が楽しくなっていました。プライベートでは現在の妻との出会いがあり、結婚しました。
印象に残っている仕事を1つ挙げると、人事部から出身校である宮城県の大学の学生と仙台市で面接し、点数をつけるよう指示されました。黒飛の他にも、出身校の学生と面接し、点数をつけてくるよう言われた人達がいました。
職場にOB・OGがいないと採用のスタートラインにも立てないシステムになっていることに、採用活動のお手伝いをして初めて気づくことになりました。
全ての企業がこうした採用手法をとっているとは思いませんし、人生は学歴が全てではありませんが、一定以上の学歴がないと人生の選択肢が狭まってしまいます。そうした学びを得た仕事になりました。
社会人3年目には、同期の中では早めに昇進することもできました。ただ、この頃は仕事に集中しきれていませんでした。
その理由は、ふとしたことをキッカケに「今の日本における農業の支援の形は、このままでよいのだろうか」と考えるようになったからです。元々社会人になるときも、いつかはアカデミックの世界にまた戻りたいと考えており、妻の理解が得られていたので農学系の大学院を受験することに決めました。ここにきてまさかの理転です。大学院は北海道の大学院を第一志望、東京の大学院を第二志望としていました。
大学院を受験する際、TOEFLやTOEICなどの民間の英語資格をスコア換算するケースが多いのですが、大学院受験を決めた2020年は新型感染症が猛威をふるっていて、英語の民間試験を受けられない人が続出したこともあり、両大学院ともに独自の英語試験を課すことになりました。それに向けて社会人として過ごしながら勉強をしなければなりません。
ひとまず、どんな問題が出されてもある程度の応用がきく英語力を身につけたいと思い、英検準1級取得を目標に学習を開始することにしました。
大学受験以来、英語学習から遠ざかっていたのですが、YouTubeの武田塾チャンネルで効率的な英語の学習法を学び、それを実践することで、2ヵ月程度の勉強で英検準1級に合格することができました。大学院入試の面接でも、英語の出来が受験生のなかで最も良かったと告げられました。無事に2校とも合格することができ、憧れの北海道に職を辞して飛び立つこととなりました。
2度目の新卒就活~他社の個別指導塾勤務編
大学院入学後、大きく人生計画が狂いました。研究したい分野の教授が入学前に亡くなったため、研究室はあるものの、その分野における指導者がいない状況となってしまいました。何をしにはるばる北海道まで来たのか、分からなくなってしまいました。そこで、研究も適当に進めつつ、医学部受験専門予備校の講師や、大手予備校の講師、プロ家庭教師や個別指導塾でのアルバイトなど、自らの学習経験を還元する仕事を並行して行っていました。
また、研究職に関する事前の情報収集の甘さが露呈しました。大学院の先輩が研究職に就き、研究者としてのスタートを切ることになったのですが、勤務地は北海道のなかでも相当な僻地でした。これは農学者のキャリアのスタートとしては一般的なことであることを知りました。ペーパードライバーの黒飛は農学の研究職に就いても、妻と一緒に暮らしていくのは難しそうだと感じ、札幌市周辺の一般的な企業に新卒枠で就職活動を行うことにしました。
しかし、ここでも問題が発生します。大手企業・有名企業へのエントリーシートが通過せず、面接前に足切りを食らうようになりました。これは学歴の問題ではないことにすぐ感づきました。年齢が高すぎており、いわゆる高学歴でも敬遠される状態になっていました。言い換えると、学歴には賞味期限があり、若いうちに高学歴にならないと、新卒の就職活動という場においては何の意味もないことを体感しました。
結局、黒飛を新卒として採用した企業は、労働条件に満足できるとは言い難いところばかりでした。
そうした企業の中でも比較的労働条件の良かった企業の内定をキープしていたところ、当時アルバイトをしていた個別指導塾から正社員登用の打診がありました。
大学生のときにも首都圏の大手進学塾で講師のアルバイトをしており、当時の教室長から「黒飛先生、絶対この業界向いてるから目指したほうがいいよ!」と声をかけていただいたことを思い出しました。
実際に住んでみて北海道が大好きになった黒飛は、北海道で根を張る個別指導塾で勤務することを決めました。中途採用という形で、2022年6月から勤務開始となりました。
ただ、結論をいうと2023年3月末をもってこちらの塾からは退職することになります。退職に至った最も大きな理由は、顧客のニーズと自身の価値観の相違です。前職の個別指導塾は高校生も在籍していましたが、小中学生がメインの生徒でした。有名な中学校に入りたいor入れたい、札幌の高校で東西南北に入りたいor入れたい、などのニーズがあった一方で、黒飛は「社会に出るときにみられるのは最終学歴であり、中学や高校なんてどこに行こうが関係ない。大学どこ行くかなんて高校は関係なく本人次第。」といった具合に、完全に価値観がすれ違っていて、これが働くうえで大きなストレスになりました。つまるところ、黒飛は「多くの人にとって最終学歴となり、人生の大きな分岐点になるであろう大学受験をメインにした塾・予備校で働きたい」と考えるようになっていました。
武田塾への転職~現在
そうした思いを抱えるなかで、武田塾とご縁があり、勤務することとなりました。まずは新札幌校で副校舎長として勤務し、校舎運営のいろはを学んだり、時々千歳校に出張したりしました。今までの社会人生活で最も充実した日々を送ってきました。
それはひとえに、武田塾が生徒や保護者様と人生の岐路について真剣に向き合い、困っていることを本音でご相談いただける塾だからだと考えています。
黒飛は、ファーストキャリアから学習塾一筋という人間ではありません。一方、それが最大の強みだと思っています。なぜなら、大多数の生徒は将来、教育業界ではなく、より幅広い進路に進むからです。民間企業、公務員、アカデミックなど、様々な世界について実体験に基づいた情報を提供できる校舎長こそ、多くの生徒や保護者様に受験で終わらない価値を提供できると考えています。
そうした考えから、黒飛は必ず無料受験相談に来た生徒に将来の夢を聞きます。夢がある生徒には、その夢を叶えるための最高の道筋を一緒に考えます。夢がまだない生徒には、将来の可能性を狭めないよう、今すべきことを突き詰めます。
また、保護者様が今まで他人には言えなかったお悩みを共有してくださり、それについて本気で考えることも、武田塾で働く魅力の1つです。時にお悩みが深刻で、解決策を考えるのに様々な情報を集めることもあります。一方で、本音で大人が抱えるお悩みについて話し合える仕事は滅多になく、貴重な場面に立ち合えていることを実感します。
生徒・保護者様に信頼され、「あのとき武田塾千歳校に通ってよかった」と卒業生が社会人になっても思ってくれるような校舎運営を行っております。つれづれなるままにブログを書き連ねてまいりましたが、自分の人生を振り返っても、実は19歳まで生涯を書いた前半より、それから約12年の31歳までの後半のほうが長編になっています。人生で本当に大事なことは後になって気づくからなのか、高校を卒業してからの1年のほうが人生において重みが出るからなのか、その両方なのかは分かりませんが、これも黒飛の「高校の先を考える」思考が表れているような気がしています。
そして、これからも黒飛は、自分の唯一無二の経験を武器に、「武田塾千歳校を世界で一番良い塾・予備校であり続けさせる」ことに全力を注ぐことを約束します。現在通っている塾生は、友人や後輩をぜひ無料受験相談に誘ってあげてください!武田塾千歳校に通おうか、無料受験相談に行こうか迷っている方は、ぜひお気軽に相談にお越しください!
武田塾千歳校校舎長 黒飛は、まだ見ぬ方々に出会えるのを心から楽しみにしています!
最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました!
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