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武田塾千歳校 校舎長はどんな人??自己紹介します!(1/2)

https://www.takeda.tv/chitose/blog/post-264367/

みなさん、こんにちは!

北海道千歳市、JR千歳駅から徒歩2分の塾・予備校
武田塾千歳校の黒飛(くろとび)です。

校舎長顔写真

せっかくの機会ですので、自分の人生を振り返りながら自己紹介をさせていただきます。

 

 

校舎長 黒飛は何を考えているのか

「武田塾千歳校を世界で一番良い塾・予備校であり続けさせる」その一心で校舎運営をしています。

しかし、「良い塾・予備校」と言われて、皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか。

黒飛は「良い塾・予備校」=「生徒を志望校に合格させる力を持った塾・予備校」だと思っています。

そして、自分の人生経験を生かして「関わった生徒の人生の角度を、1度でも2度でも良い方向に変えたい」と考えています。

傲慢な考えなのかもしれませんが、そんなことを本気で考えている校舎長です。

今までの人生において、黒飛は大勝ちもしていなければ大負けもしていません。ただ、小さな成功体験を積み上げて自信を少しずつつけていたり、色々な失敗経験も沢山してきて、そのたびに不屈の精神で起き上がってきました。そんな様々な経験をしている自分だからこそ、皆さんの人生の参考にならないか、そう考えて今回の自己紹介記事の筆をとることにしました。

人生を振り返ると、濃く&長くなったので、生誕~大学受験生時代を前半とし、大学入学~現在までを後半にします。

黒飛の略歴

「黒飛という苗字を初めて聞いた」生涯何度この言葉を聞いたか分かりません。ですが、出身地である広島県尾道市では極めて一般的な苗字です。クラスメイトにも黒飛さんがいたほどメジャーな名前です。(※下の写真は、今は改装された旧尾道駅舎です)

尾道駅

大学受験で上京を決意し、尾道から東京の大学に進学しました。
大学卒業後、宮城県の大学院に進学し、就職を機に東京に戻ることになります。社会人となって結婚したあと、再び研究意欲が湧いてきたため北海道の大学院を受験し、再進学を機に退職して妻と北海道に上陸します。そして現在、武田塾千歳校でお仕事をしています。

趣味は数学、動物の動画をみること、ダイエット。特技は英語、妻を怒らせること、太ることです。

 

誕生~小学校時代編

1992年9月21日生まれ。

祖父は農家、祖母は専業主婦、父は化学の技術者、母は養護教諭(=保健室の先生)、そして4歳離れた姉が1人という家庭で育ちました。小学校に入るまでは、姉とごっこ遊びをしたり、祖母からバスの乗り方や農作物の種類を教えてもらうといった「孫育て」を受けて育ちました。幼いころの習い事として、幼稚園に入ると同時にそろばん教室に通い始めました。

また、姉は小学校に入ってから通信教育を始めており、毎月付録で算数を学べるビデオテープがついてきました。時間だけはあった小さい頃の私は、テープが擦り切れるほど何度も再生したため、小学校に入学する頃には小学4年生の算数ができるようになっていました。

しかし、この自主的な早期教育が、黒飛の人生を悪いほうへと変えていきます。

小学校入学後、学ぶ内容が簡単すぎてつまらず、授業妨害を繰り返すようになりました。特に算数においては、ビデオテープとそろばんで先取り学習をしていたため、何のために授業を受けているのか自分でも分かっていませんでした。その結果、勉強に前向きになることができない姿勢を小学校の段階で身に着けてしまいました。

そろばん教室も行くのが苦痛で、サボったのがバレては母に怒られていました。小学2年生のとき、市内のそろばん大会で優勝したことを機に「もう辞めたい」と母に告げました。代わりに小学3年生からは英語塾に通わされることになりますが、それ以上に野球にのめりこむようになります。小学生にして、少し成功したら継続しない&完全に勉強習慣がない生徒になってしまいました。

中学~受験生時代編

中学生になっても、学習習慣がついていないため、定期試験対策はしない。提出物は出さない。

とにかく野球部の活動だけにのめり込む毎日でした。そのため、成績はオール3に近く、2がつく科目もちらほらありました。

また、中学2年生のときに問題行動を起こし、2度出席停止の処分を受けました。ちょうど2度目の出席停止期間が、理科は化学の基本、数学は三角形の相似や合同条件を学ぶ時期であり、ここの単元がスッポリと抜け落ちる形となってしまいました。高校入試で苦労することになるのはもちろんのこと、高校進学後も化学や数学の学習に大きな打撃を与えることとなり、文理選択の際には「理系」という選択肢が無いも同然でした。

しかし高校入試では、時々サボりつつではあったものの、人生で初めて自分なりに勉強というものを行いました。ただ、滑り止めの私立高校の合格が確定してから全く勉強せずに公立高校入試を迎え、運よく本命の公立高校に合格しました。

合格

このときの「最後の最後まで勉強を頑張り切らない」という姿勢が、数年後に人生を大きく狂わせることになります。

 

そうして一応、広島県立尾道東高等学校 普通科国際教養コースに入学しました。

当時の特徴は3点ありました。1点目は、ホームルームでの伝達が英語で行われることです。

2点目は、当時としては珍しく約1ヵ月間の海外研修に行けることです。

3点目は、3年間クラス替えがないといったものでした。

小学3年生から英語塾に通っていたので、それなりに英語には自身があり、高校生活は楽しいものになると思っていました。そして、中学校生活がなんだかんだで楽しかったこともあり、将来は中学の教員になるために大学に行こうと考えていました。部活動は、長距離走が得意だったので陸上部に入ることにしました。華の高校生活が始まることに何の疑いも持ちませんでした。

ただし、現実はそう甘くありませんでした。

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クラスメイトは英語が得意な人だらけ。そして自分は学習習慣がついてないので差が開く。英単語の小テストでは毎回追試、授業中は寝る、定期試験では数学や古典で赤点連発、極めつけには高1の1月の進研模試で、英国数の偏差値が3科目とも40台前半。高校で赤点をとったことがない両親にこっぴどく叱られ、父からは「お前、このまま高校続けてもどうせ単位がとれないからさっさと辞めろ」と言われ、母は担任に退学の相談を電話でしていたのを覚えています。「高校中退するの、恥ずかしいけど仕方ないか」と考えていましたが、当時の担任が高校を続けることを両親にも私にも強く説得し、高校2年生にかろうじて進級することになりました。高校2年生からは授業をまじめに聞くようにしたため、赤点をとる頻度は減りました。(なお、高校2年生でも1度出席停止処分を受けました)

そして、人生を変える出来事が高校2年生の秋に起こります。

校内の選考で、英語ディベートの代表メンバーに選ばれ、全国高校生英語ディベート大会に出場することになりました。その会場で、灘、栄光学園、慶應義塾湘南藤沢、渋谷教育学園渋谷…といった、本物の進学校の人たちに出会うことができました。英語で冗談交じりに流暢に議論をする彼らをみて、「勉強ができるってこんなにカッコイイことなんだ」と感じ、これまでの人生の価値観が一気に変わり、がむしゃらに勉強するようになったことを覚えています。そして、「東京に行けばこうした人たちと交流できるんじゃないか」と考え、東京の大学を目指すようになります。

勉強に本腰を入れ始めると、部活の時間すらも惜しくなり、高校2年生の駅伝大会を最後に退部しました。勉強時間は苦手科目だった数学と生物にとにかく投下しました。

勉強のイラスト「テスト勉強・男の子」

そして、高2の1月の進研模試の結果が返ってきました。

東京学芸大学 D判定  早稲田大学 C判定  立命館大学 B判定

勉強時間を充てていた数学と生物の偏差値が30台となり、逆に一切勉強していなかった英語・国語・日本史の偏差値が70を超えました。この現象をどう捉えていいか分からず、親・担任・進路指導の教員に相談しました。その結果、早稲田大学を第一志望とすることに方向性を決めました。

ただ、地方の高校から早稲田大学を狙うのは全く容易ではありませんでした。

高校3年生となり、高校1・2年と担任だった教員が異動し、進路指導の教員も交代。そして、高校の進路指導の雰囲気が「国公立以外は逃げ」に変わり、受験に必要のない科目の授業でもまじめに聞かざるを得ない状況となっていました。他科目の内職をするとクラスメイトの前で吊るし上げられて怒られます。

先生怒る

しかし、救いの道がありました。

それは、授業と同一の教科であれば内職していても怒られないという謎の慣習でした。これが救いとなり、参考書を中心とした高速学習をすることで、勉強をサボっていたツケを払うことができました。

高校3年生の全統記述模試の早稲田の判定も、第1回はE判定、第2回はC判定、第3回はA判定をとることができました。

しかし、それでも早稲田大学は不合格。今振り返ると、原因は模擬試験に最適化した勉強をしており、早稲田大学に向けた対策を怠っていたことにあると思います。誰かコーチになるような人がいれば、自分の学習が誤った方向に進むのを止められたかもしれません。そして、進路指導主事に頼まれて受けた地元の僻地にある国立大学には合格。親に申し訳なさがあったものの、頭を下げて、早稲田大学を目指して浪人する許可を貰いました。また、地元の尾道市には予備校がなかったため、東京の予備校で浪人することになりました。

浪人してからも、学習の基本は参考書という考えに変わりはなく、役に立たないと思った授業や、自分には合わないと思った授業は躊躇なく切っていました。

浪人時代の模試は、全国小論文模試7位、第3回代ゼミ記述模試2位、第2回早大プレ政治経済学部2位、慶大プレ文学部7位といったところでした。

ただ、模試で好成績を乱発していた安心感から、センター試験終了後に遊び呆けて一切勉強しなくなり、早稲田大学とは縁がない結果に終わりました。

前期に東京の国公立に受かっていましたが、立地が悪いという理由でそれを蹴り、後期の東京の国公立に突撃。後期は枠が少なく、合格者2名の枠から当然漏れました。

そして、立地の良さだけを理由に、大学の偏差値的な序列など度外視し、センター利用入試で適当に合格した、そこそこの私立大学の文学部に進学することになります。

高校受験のときの「最後の最後まで勉強を頑張り切らない」という姿勢が治りきっておらず、見事にここにきてフラグを回収。人生を賭けた勝負で苦汁をなめることになりました。そして大きな学歴コンプレックスを抱えて大学生活を送ることになります…。

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実はこの時の経験も、現在武田塾で働く理由の1つです。10代の人間が自分を律することは、簡単ではありません。武田塾のように学習を徹底的に管理し、受験期にも伴走してくれるような存在があれば、当時の黒飛のような受験生を減らすことができると考えています。

前半はここで終了です!後半は大学入学後から現在に至るまでの波乱万丈な人生を書いていきます!

後半はこちらです!:https://www.takeda.tv/chitose/blog/post-264367/

長文を読んで下さりありがとうございました!

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